左様なら、お元気で、二度と見ぬふるさと

 遠い昔のことを考える。インターネットも、新幹線も、車も、電気やガスもなかった時代のことを。

 きっと知り合いなんて百人もいない。村のみんな、ただそれだけ。たまに来る旅人は珍しい。少し離れた町に行くのも大仕事だ。殆どのひとは村を出ずに過ごす。

 空を飛ぶ鳥を眺めて、あの向こうには何があるんだろうと空想する。誰かが言っていた、たくさん桃のある楽園かもしれない。あの鳥はそれを見るのだろうか。幸せそうに甘い実を啄むのだろうか。

 自分に与えられる仕事はきっと、ずうっと同じで、毎日同じことの繰り返し。誰かの子どもを産んで育てて、それの繰り返し。

 そんな世界で何かを疑うことはあるのだろうか。生まれた意味を問うことはあるのだろうか。生まれてこなければ良かったと嘆くことはあるのだろうか。自分は孤独だと涙を流すことはあるのだろうか。

 どちらが幸せかなんて馬鹿げた問いだ。けれど、いまのあまりにも急いた空気が少し嫌になって、ただ海や山を見つめていたくなった。となり町からの手紙を、何か月も心待ちにしてみたくなった。ただちょっと、疲れちゃった。


 いまはたくさんの素敵なものに囲まれて、食べるものに困らなくて、昔では考えられないくらいの知識を手に入れて、ほんとうにたくさんのものを抱えている。次から次へとやってくる出来事はまるで急流のようで、立っているのもままならなくて。けれどほかのひとは上手くそれを乗りこなしているように見えて、置いていかれている気がする。

 でも僕に合っている時代なんて過去にも今にも未来にもないと思う。僕は人間として生きるのが嫌いなのかもしれない。社会というものが嫌いなのかもしれない。本当は一人で生きていたいよ。


 だからせめて根無草として、いつまでもどこかを転々としていくのだろう。きっと数年後には今居る街を出ていく。数年前にそうだったように。十年近く前に故郷を出て行ったように。ふるさとを捨てたように。

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