日記 少しだけ前を向く

 最近は2週間に1回ほど、カウンセリングを受けている。今までの人と違って、わたしの話したいことを色々と聞いてくれて、朗らかにアドバイスや意見を言ってくれる人だ。
 カウンセリングを受けると、なんだか心の中のもやもやを相談室に置いてきたような気持ちになれる。帰りの足取りはほんの少しだけ軽い。

 家族のエピソードについて話したときに、「あなたがそんなに気遣いの出来る子じゃなかったら良かったのにと思う」と言ってもらえて、わたしの苦しみの一部を分かってくれたように思えた。noteにも書いたことがあるけれど、もっと馬鹿な子どもに生まれたかったと何度も願っていたから。

 「あなたは家の中で小さいお母さん、小さい妻として一生懸命やってたんだね」とも言われた。確かにそれは前から思っていたことだ。「本当は夫婦の問題だから二人で解決するべきなんだよ」とも言われた。でもそう言われても、やっぱりお母さんは酷いお母さんだと思えなかった。あんなに一生懸命仕事も家事もしていたのに、と。

 それで多分、わたしも小さいお母さんとして少しだけれどお母さんの代わりをしていたから、辛さが分かって同情してしまっているのかな、と思った。あの状況で上手く対応出来なかったことを責めるなんて無理だ。だって、わたしも同じ状況にいたら無理だと思うから。

 それでも、カウンセラーさんに「親の問題は親の世代できちんと解決するべきで、子どもに押し付けてはいけないと思うよ」という言葉を覚えていたいと思う。別に誰かを責める必要なんてなくて、ということはわたし自身を責める必要もないからだ。お母さんに無理をさせていた負い目も感じる必要はないのだ。すぐには腑に落ちないかもしれないけれど、いつか納得出来る気がする。

 そういえば、「自分は虐待された」というよりも「自分はDVを受けていた」と思う方がしっくりくるのも、小さなお母さんで小さな妻だったからかもしれない。こういうことが虐待/DVです、という事例を見ると、わたしがされたことはDVの方には書かれていて虐待の方にはあまり書かれていない。だから虐待だった、とはあまり認識出来ていなくて、これもDVの一部だと言ってくれた方が納得出来る。もちろん自分が虐待を受けていたと認識するのが辛い、ということもあるかもしれないけれど。


 昨年末から数ヶ月前までの状況に比べて、かなり良くなってきていると思う。小さな落ち込みで済んでいるし、調子が崩れないように休むようにすることにも慣れてきた。まあ油断大敵だし、きっと症状には波があると思うので、悲観も楽観もせずにいたい。それでも、お医者さんやカウンセラーさんや、そしてお母さんのお陰で治療が進んでいる、そう思えている、ということは書き記しておきたい。


 そして来月心理検査の結果が出るよ!楽しみ。何故なら検査自体が楽しかったので。実はかなりお喋りなので、自分の考えを話す時間が多い検査は楽しく感じた。
 昔は自分って大人しいなあ、と思っていたから、そこもだんだん変わってきた気がする。アルコールがなくても、(相手次第ではあるけれど)かなり長時間喋ります。相手がいなかったら脳内で喋り続けてたまにnoteに話しかけていて、その結果がこれらの文章です。

 たくさん喋れる相手の共通点って何かな、と思ったら多分悪口の対象を共有してる人だと思う。もちろん話の全部が悪口ではないけれど、嫌いなものが同じ方が気が合うというのは本当かもしれない。あるいは、悪口を言うのは言いたいことを言えると思っている相手だけなので、気を使わずに話せているのかも。

 こうやってnoteに話しかけ初めて良かった。読み返してみると、かなり感じ方が変わっているのが分かって面白い。
 人間は変わっていくものだなあ。


(日記でもそれなりにきちんとまとめで締められないと悔しすぎる)

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