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カムバック・ソーシャルディスタンス
この頃はマスクをしていないひとも良く見かけるようになった。学生たちは楽しそうにお喋りしていて、飲み屋街も賑やかだ。そんな雰囲気にわたしも浮かれる。
けれど日常を振り返ってみれば、わたしの心には余計もやがかかったようになっていた。どうしてだろう。講義に出られなくてしんどいから。何度か書いたとおり。
なぜ講義に出られないんだろう。高校までは学校に行きたくないとは思っても休んだりしなかった。いまはもう無理と体が拒否している。それで、高校までと大学の授業は何が違うんだろうと考えた。
まずはなんといっても人数が違う。大講義室には100人以上の人間が詰め込まれているのだ。これだけでもう行く気が失せる。それに加えて、その部屋の机は長机だ。隣の人との距離が近過ぎる。あ、荷物大丈夫ですか、あ、すみません、みたいなやりとり。無理。隣に友達同士で座って、休み時間はまあいいとして、講義が始まってもしばらく喋り続ける。無理すぎる。わたしはどうやら自分以外の人が雑談をしているのが耳に入るのが怖いらしい。たぶん悪口を言われている気がするからだと思う。あとは疎外感を覚えるから。だから大人数がいる講義室で、そこここに仲良しグループが出来ている空間が無理なのだ。わたしに友達?いません。いや、いるけれど、わざわざ話しかけに行く気にもならない。
1年を通して同じ授業を受け持つ先生、みたいな存在がいないのも苦手だ。数ヶ月ではその先生のスタイルにも慣れて自分なりにノートのまとめ方を決めたり出来るけれど、大学ではその前に違う先生になっている。プリントもスライドの作りもガラッと変わってしまう。どうやらこだわりが強いらしいわたしにとってはあまりにも苦痛だ。スライドに教科書からスキャンしてきた図が1枚だけ貼ってあるとか発狂する。せめてタイトルを書け。フォントをバラバラにするな。
そんな講義を無視して内職でもしようかとも思うけれど、この先生がキレるタイプなのかも分からない。大学にそんな人いないと思うかもしれないが、一定の割合でいるのだ、突然理不尽に叱る人が。それが恐ろしいので迂闊なことは出来ない。そもそも人との距離が近くて、内職しようにも狭い。無理。
本当はずっとリモート授業が良かった。その方が話も聞いているし勉強もしている。なぜ無理やり狭い講義室に押し込めるのだろう。先生が寂しいから?ぬいぐるみをたくさん並べといたらどうでしょう。白けた顔の学生より余程可愛いと思います。
不安障害になってから、ほんの些細な事にもストレスを見出すようになった。今までは見ていないふりをしたけれど、そんなエネルギーもなくなったから。そうしたらこんなにも”普通の”人と違うことばっかりなんだと気がついた。けれど世間は”普通”に合わせてデザインされていく。狭い空間、人混み、話し声、そんなものたちが苦手な人のことは忘れられる。本当は他にも、わたしが気がついていないことにも、苦手な人がいるはずなのに。
ソーシャルディスタンスを押し付けられているのも少ししんどかった。でも元に戻り切ってしまってもしんどい。どちらも選べたらいいのに。それが出来るって分かっているでしょう?でもやらない。面倒くさいから、自分には関係ないから、こっちが好きだから?そこでは振り落とされてしまった人たちの存在はなかったことになっている。
とりあえず、講義は一生続く訳ではないので、騙し騙しどうにかします。