レッテルを剥がしてやれ

 昨年に受けた知能検査のことが最近再び気になるようになってきた。
 私が受けたのはWAIS-3で、結果は言語性IQ>>>動作性IQで、差はおよそ30、小項目で一番低いのは知覚統合だった。

 この結果について、差が大きいことに驚かれはしたものの、とりたててお医者さんやカウンセラーさんには問題にされなかった。だから発達障害の診断も下りていない。恐らく私の主訴からして、発達障害特有の困りごとはなかったからだろう。私もこれだ、という困り感はない。だからそんなものかな、と思っていた。

 最近、発達障害の方と話す機会があって、WAISの結果についても話した。どうやらその方は項目ごとのばらつきがあるものの、30も差があるわけではなかったらしい。それに、発達障害ではないひとならもっとばらつきは少ないと説明されたとのことで、これらの知識は私も持っていたけれど、直接第三者から聞いたことは少しインパクトが大きかった。もちろん、困り事がなければ発達障害の診断は出さないと言われたことも話して、それが自分のようなタイプなんだろうとも思った。

 それでも気になったのは、自分がどこか「周りと違う」と感じ続けてきたからだと思う。noteに何度も書いた通り、どうやら私は他の人とは違うことを考えたり感じたりしているらしい。だからあまり共感されない。それに昔から気がついていて、全自動で笑顔と相手への肯定の言葉が出るように無意識に訓練した。だからたぶん、周囲の人から「空気の読めない子」という評価は下されてはいないだろう。少し変わっているとは思われているかもしれない。それでも、「普通」または「多数派」の範疇に入るだろうと思われている、はずだ。

 言語性IQがそれなりに高いのもそれに拍車をかけているだろう。処理速度もまあまあある。だから言葉をフルスピードで処理すれば、多少の苦手は隠せる。自覚もしないほどに。

 そんな訳で、私は「普通」のレッテルを貼られる。けれど、私は自分が周りに合わせているだけで普通ではないことを知っている。一人が好きで、特定の人以外とのお喋りは好きではない。そもそも鬱と不安障害を持っていて、薬を飲まないとまともに生活できない。まともを装っているけれどちゃんとしていない人間で、メールや電話は怖いからずっと無視している。LINEも嫌い。話しかけないでくれ、と思っていて、人が多い教室に入るのが怖い。

 それどころか、「優秀」のレッテルを貼られることだって多い。どうしてなのか全然分からない。嫌味とかじゃなくて、本当に。無意識に自慢しているのかもしれない。だったら私はクソ野郎だ。私だって苦手なことは山ほどあるけれど、そんな面を見せるたび「意外だ」とか「あなたにも苦手なことがあるんだ」とか言われる。心外だ。でもその人たちの期待を裏切るのが怖くて、必死に「いい子」を演じようとしてしまう。最悪だ、だから変なレッテルを貼られるんでしょう。自己保身の歪んだプライドのせいだ。

 こういうところは、言語性IQだけ高いばっかりに苦手なことでも期待されてしまうだろう、と心配してくれたカウンセラーさんやお医者さんの言っていることは当たっていると思う。

 「多数派」のひとはさほど能力にばらつきがない。だから一つ得意なら全部得意と推論する、それは彼らにとって当然のことなのだろう。私みたいな外れ値のひとのことは毛ほども考えない。診断が下りていない私だってこんなに違和感を覚え、時に苦しむのだから、発達障害のひとたちやグレーゾーンのひとたちはどれほど大変なんだろう。きっと私は彼らを傷つけたことだろう。最近まで、その大変さに思い至らなかったのだから。そしてこれからも傷つけると思う、「大変」の中身は全然分かってないのだから。

 だからせめて、自分に貼られたレッテルを剥がす方法を知りたい。分かったらそれを言語化したい。剥がさなくても、気にしないとか、無効化するとか、方法はなんでもいい。とにかく、少しでも楽に生きられる方法を。

 そして出来るだけ、誰にもレッテルを貼らないようにする。難しいことだけれど。完全には出来ないけれど。少しでも意識できていたら、と思う。

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