こころに射影を、次元を超えて
頭がいいってなんだろう。小さい頃から考えていたことだ。なぜかというと、小さい頃はみんなよりちょっと勉強ができて、頭がいいねと褒めてもらっていたからだ。自分は他のみんなと何が違うんだろう。確かに何かは違う気がする。でもお勉強ができて、テストの点数が良かったら、それで頭がいいって言うのは単純すぎやしないだろうか。それに勉強だけできても社会じゃ役に立たないとか文句を言う人だっているし。結局、頭がいいって何なのかは謎のままだった。
実際、科学的にも知能の全体像やその高低についてコンセンサスがあるわけではないだろう。そのくらい難しい問題だ。たぶん。だから今のところ答えはないわけだけれど、せっかくだからこのところ考えていることを忘れないように書いておこうと思う。
いつか誰かに頭がいいってどういうことだと思う、と聞かれた時に、「物事をいろんな角度から考えられること」と答えた気がする。大まかな考えは今でも変わっていない。一つの物事、たとえば誰かの意見に対して賛成の立場からも反対の立場からも意見を思いついて、そのどちらがいいか検討できたり、そもそも意見の前提条件が成立するかを考えることが出来たり、そういう人は頭がいいと思う。
それについて色々と考えるうちに、まるで思考が高次元になっていくみたいだ、と思った。あまり頭が良くない人は良いか悪いかだけで判断する。良いものは良い、悪いものは悪い、それでおしまい。頭がいい人は、一見良いと思えるものにも欠点がないか考えたり、その逆をする。さらに、そもそも良いとか悪いとか、その基準自体が自明なのか?正しいか?正しいとは何か?正しい必要があるのか?そうやって考える次元はだんだんと増えていく。
人間には4次元以上の空間を想像するのは難しい。数学の問題なら3次元空間を考えるのだって一苦労で、紙に書くならどうしたって2次元になってしまう。そんな風に、高次元の思考をどんどん下の次元に落としていって、自分の思考の次元に辿り着いてようやく「分かる」ようになる。
しかしそれは本当に「分かった」「考えた」ことになるだろうか。いくら上手く下の次元に落とし込んでいったとしても、情報はその時点で欠落している。頭がいい人の考えているものを、同じように捉えることが出来ないのだ。
自分がどこかの次元で思考しているとして、それより上の次元で思考している人の考えを完全には理解できないし、下の次元で思考している人には自分の考えを全て伝えることはできない。
別に誰かが馬鹿だとか頭がいい人は偉いとか言いたいわけではなくて、人間はお互いの考えをわかり合うことが難しい、と言いたいのだ。もしかしたら次元の数は人間の数だけあってお互い違うのかもしれないし、次元が同じ人がいても軸の設定が違うせいで変換がややこしくて分かり合えないかもしれない。それでもどうにか伝え合おうとして、どこかが伝わったら嬉しい、と思うしかないだろうけれど。
どうしてまたこんなことを書いているのかというと、SNSなんかでは「この人あんまり考えてなさそうだなあ」とか「この人は色々考えていてすごいなあ」とか思うことがあるからだ。
あんまり考えてなさそう、と思う人は大抵どこかで見たことあるような意見しか言わない。特にTwitterでは多くの人に受ける言説というものがある気がして、似たような意見ばかりバズっているのを見る。だからまたかよ、と思ってしまう。もっと何も考えてないんだろうな、と思う人はそんな意見のRTしかしない。さっきの次元の話で言えば、みんなが良いって言ってるし、良さげな雰囲気だから良い、という軸しかないように見えてしまうのだ。
色々考えていてすごい、と思う人は逆で、こんな着眼点があったのかと思わされることだったり、みんなとは違う意見に、きちんと理由や考察を付けて書いている。誰かの意見をRTしていても、その後に自分の意見のコメントをつけていたりもする。
もちろんこの判断基準も怪しくて、RTばかりしている人が何も考えていないとは言い切れない。ただ言っていないだけ、ということもあり得る。それにみんなと違う意見を言っていてすごい、と思っても、実はただの逆張りだったり、自分自身の考えと似ているから良いと感じたというだけで、中身は空っぽという可能性だってある。
それにTwitterのようなSNSは書ける字数も短く、あっという間に情報は流れていき、指先一つでRTといいねができてしまう。そんな中ではしっかり考えよう、という気になる人は少なくなってしまうだろうし、普段は色々と考えている人でもつい勢いで単純な軸だけの思考をしてしまうこともあるかもしれない。
日々あまり考えられてないように見える沢山の意見が流れていくのに疲れちゃった。特に怒っている人が多いし。その怒り、本当に自分に必要なのかな?それこそ何にも考えてなくない?あと、そう見える人に限って「自分は色々考えてるよ」みたいなアピールをしている気がする。これは圧倒的に自信を持って偏見ですと言える意見だけど。
うっかり愚痴を言ってしまったけれど、そうやって簡単に一つの意見が恐ろしいスピードで広まっていくことは危険が伴うと思う。詳しくは別の機会に書きたいなと思うけれど、たぶんそのせいで余計な争いとかストレスが生まれている。これがインターネットだけの、そしてTwitterだけの現象でありますように。というわけで、こんな感じの考えたことはnoteだけに書こうと思う。余計な争いや誤解を生みたくはないから。
自分のためにちょっと希望のある話で終わりたい。SNSのせいで思考の次元が下がっていくとしたら、逆に何かによって次元を上げることもできるかもしれない。その正体はよく分からないけど、でも可能性はあるなと思う。とりあえず考えて、考えたことをnoteにでも書いて、できればいろんな知識と思考を取り入れてみたいと思う。ここでも書いた通り、私は翼が欲しいのだ。