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ぼくのじんるいめつぼうけいかく


 人類って愚かですね。悪意があったりなかったりしてお互いを傷つけあって、悲しみが増殖して、それなのに儚い幸せを信じて押し付けて生きている。それがとても悲しい。苦しみも悲しみもない方がいいと思う。残酷な場面、非情な出来事、どうしようもない悲劇、そんなものを見てしまったらとても辛い。そしてそれらは全て人間が生み出したことだと思うと余計に辛い。

 だから人類、滅ぼしたいと思いませんか?

 そんなわけで、僕は時々人類を滅亡させたいという衝動に駆られる。一人残らず人間がいなくなって仕舞えば、人間に起因する苦しみ悲しみは全てなくなり、この世に変化のない平穏が訪れるから。

 その目的を達成するのはかなり難しい。ただ単に人類がいなくなって仕舞えばいいというものではないからだ。苦しみや悲しみを無くすために人類を滅ぼすのだから、その過程でも苦しみや悲しみを生じさせてはいけない。そのための条件がある。

 その条件は一瞬にして、状況を把握することなく全人類が滅ぶ必要がある、ということだ。もし大切な人が自分より先にいなくなってしまったら、自分が消えるまでその人は悲しみを感じなければならない。仮に知らない人が次々消えてしまったとしても、次は自分かもしれないという恐怖に苛まれてしまうかもしれない。または、病気なり怪我なりで死に至るとしても、その過程は非常に苦痛に満ちたものになるはずだ。これでは目的は全く達成できていない。人類全てを苦しみと悲しみから救うために滅ぼすのだ。それなのに大きな苦痛を与えてしまっては本末転倒ではないか。

 現在の人類が可能な手段では、この条件を達成することは不可能だ。どれだけの努力や技術を以ってしても、どうしてもタイムラグなり苦痛なりを生じさせてしまう。ではSF的あるいはファンタジー的な方法ではどうだろう。例えばエヴァの人類補完計画のような。しかしそれも自分以外の介入が必要であったり、正義を名乗る人物や団体からの阻止があったりして、結局誰も苦しめずに計画を遂行する、ということは不可能に思える。これらは空想の世界の話だけれど、現実の自然界にもホメオスタシスがあり、人類滅亡などといった大きな変化に対してはなんらかの方法でその反対方向への力が生じると考えられる。それが自然現象なのかヒーローの登場なのか内部崩壊なのかは分からないが、計画は阻止される可能性が高そうだ。そうなると誰かの苦痛、犠牲が生じてしまう。

 だから苦しみや悲しみを取り除くために人類を滅ぼす、という考えはおそらく実現不可能なのだ。

 では反出生主義を広める、という点で攻めてみてはどうだろう。もし今現在地球上に存在している人類全員から同意を取り付け、今後子を産まない、人口減少に伴う様々な問題に全力で取り組む、最後に残されることになる人々へなんらかの形で援助を行う、という約束ができれば目的が達成されるかもしれない。しかしそんなことは不可能だ。まず同意を取り付けることから無理。自分の子供が欲しい、と思っている人は日本だけでもたくさんいるのは明白だからだ。僕みたいな狂人の意見など誰も耳を貸さないだろう。

 それなら僕はどうすればいいのか。最初の目的に立ち返ろう。人々が苦しみ悲しむのを見たくない、という目的だ。誰かが苦痛を感じる出来事を最小限にしたい、と言い換えられもするだろう。さっさと人類を滅ぼす、という手段を取れない以上、苦痛を出来るだけ減らす、という方向に努力した方がいい。

 人類には知恵がある。科学が、芸術が、そのほかたくさんの学問が。そのうち人類の幸せに貢献したものは数多い。日々新しい技術が開発され、新しい理論が提唱され、人類を苦痛から救おうとする流れはまだ止まることを知らない。だから僕はそこに賭ける。きっといつの日か、人類が苦痛から解放される日が来る。いや、その日は人類滅亡あるいは地球が亡くなるその日に間に合わないかもしれないが、それでもゆっくりと苦痛は減っていくはずだ。進歩主義だと笑われるだろうか。文明が今のようにずっと続くという保証は全くないが、それでも今現在、狭い範囲で未来を考えればそれなりに科学技術も行政の制度も進歩して、ある程度救われる人は増えるだろうと思える。その進歩に自分も少しでいいから貢献したいと思う。人類を滅ぼす代わりに。苦痛の総量を減らす、という目的ではその方法が一番マシだと思うから。

 具体的な方法はまだ内緒。でも僕は科学を割と信じているので、その方面で頑張ると思う。そして一番の弱者である子供の苦痛を減らしたいと思っているのも確かだ。もしかしたら今後考えを変えるかもしれないけれど。だって科学にもたくさん欠点があるし。

 でも定期的に、というか毎日と言っていいほど、この考えが馬鹿らしくなってしまう。だって僕が今すぐ死んで仕舞えば、少なくとも今後地球上で起こる悲劇を目の当たりにすることはないのだ。だから人類を滅ぼしたり苦痛を減らす努力をするより、さっさと死んで仕舞うのが簡単だ。そうしてしまおうか、と何度も思う。でも勇気がないな。失敗したらそれこそ苦痛を大幅に増やしてしまうことにもなるし。気分がまあまあいい時は死なずに頑張ろうとも思っているし。

 結局、これらは全部僕の「他人が苦しんだり悲しんだりする姿を見たくない」というワガママから発生した思考なのだ。だからいつの日か、僕の認知の歪みが改善されたり、愛とかいうものを実感したり、劇的に効く薬に出会ったりしたらここに書いてあること全部が無駄になるのだ。むしろその方がいい。そうなることを願っているし、きっと人類の苦痛を減らそうとか言って頑張るより自分の苦悩を減らすことに尽力すべきなのだ。

 いつか世界中のみんなが幸せになりますように。

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