Smells Like…

 ハラスメントをしそうなひと、というのがなんとなく分かる。家族にずっとそうされてきて、研究室でもそんな大人に出会って、やっと感覚が掴めてきた。

 やっぱり自己主張というか、自分の自慢話が多い。どんなに凄い大学を出たか、どれほど優秀だったか、どんなに凄い師匠の下にいたか、どんなに成果を出したか。言葉巧みに自分の素晴らしさを語る。時には効果的に謙遜や自虐をしてみせる。しかしそれは自分をより良く見せる為の演出に過ぎない。

 聞いている人のことなどまるで考えていないような態度だ。相手が聞きたいことではなく、自分が喋りたいことを話す。それで良い場面もあるとは思うが、少なくとも教育現場やそれに類する場面では相応しくないように思える。

 それは相手を思い遣っていないことにも通じる。だからこそハラスメントをしそうだ、という匂いを感じ取るのだ。自分が正しいと信じて疑わないようなその態度。自信満々に、大きな身振りと通る声で語る姿。確かにこの人は凄いなと思う。思ってしまいそうになる。そこが問題なのだ。ハラスメントをするひとは大抵自分がハラスメントをしていると自覚していない。そしてされている方も、自分が悪いのではないかと思ってしまう。その悪循環の元はきっと自信ありげな態度にあるのだ。

 そして自信に満ち溢れた自己像を、意識的にか無意識的にか演出するのには理由があるのではないかと邪推する。自分に自信がないのだ。もしくは常に承認され賞賛されなければ満たされないのだ。だから自己アピールが上手くなる。それを繰り返さなければ自分が壊れてしまうから。

 僕にも思い当たりがある。僕は自信がない。にんげんになり損ねた半端者で、誰からも敵意を向けられているような、そんな気がしている。だから承認と称賛でこの不安を満たして欲しい。普段はそんな自分をどうにかおさえている、つもりだ。けれど気が緩めばすぐに押さえつけた自分が顔を出し、自慢話を始めてしまう。そして自己嫌悪に陥る。あんな人間になんてなりたくないのに、と。

 ハラスメントをするひとの中にも、僕に似ているひとがいるのかもしれない。過去に当然与えられるべきであったなにかを奪われたひとなのかもしれない。けれどそれは、僕には関係ない(もちろん、社会、という点では関係があり、僕も解決すべき問題なのだけれど)。少なくともハラスメントをして良いという免罪符にはならない。

 だから僕は、ハラスメントをしそうなひとを嗅ぎ分けてどうにか避けることしか出来ない。もう一度同じ目に遭ったら、次は生きていられるか分からないから。
 自身ありげな身振り、良く通る大きな声、場に不相応なほどの笑顔、相手のペースに合わせる気のない会話、過剰な謙遜。時に大声で目下のひとたちを威圧する。そんなひとに近付いてはいけない。そしたらぜんぶぜんぶ、駄目になってしまうから。僕は壊れてしまうから。

 ハイエナの如く嗅覚を研ぎ澄ませ、危険を察知した瞬間に逃げ出すこと。いまの僕に出来るのは、ただそれだけ。

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