親という存在が嫌でして
個人的に、多分過去のせいなのだけど、「親」そのものが苦手だ。つまり子どもがいる人全員ということだ。そのへんについては過去にも何回も記事に書いているけれど、今回はIFSの面から考えてみた。
まずは7歳くらいのパーツ。これは自分にきょうだいができると知った時のパーツだ。自分のことすら大事にできない、険悪な雰囲気の家庭しか作れない親たちが、さらに子どもを連れてこようとしている。そのことに怒っているし、裏切られたような気持ちでいる。けれど、それを知られると薄情だと言われそうだし、そんな自分は悪い子のような気がしているから、誰にも話せない。その子の話を聞いて、これはうまくやれたのかわからないけど、代弁してその意見を伝えた。その子には、嫌だと思う権利があり、正当な理由もあるのだということを伝えた。居心地の悪い家なら出ていってセルフのいるところで暮らしても良いという話をした。そうすると、前いた3歳くらいの子と一緒に遊ぶことになったようだけれど、果たしてこれは良いのか分かりかねる。また会いに行った方がいいと思う。
その次は10歳くらい、きょうだいの面倒を見ることに疲れているパーツだった。やはり、もうやりたくないと言うことは悪いことだと思っているようだった。子どもだから、そんなことする必要はないこと、やりたくないと言うのは権利であることを話した。そしてそこから出ていいと言うと、図書館に行きたいということで、ハリーポッターみたいなでっかい図書館に行くことになった。架空の場所ではあるが、気に入った本がたくさんあるようで、それを抱えて楽しそうに帰っていった。この子は満足してくれたような気がする。
さらには、昨日少し話した自分より少し年下のパーツ。どうやら、自分は親に不適切な養育をされたと気がついた時にショックを受け、それを思い出さないように、親という存在に怒ったり目を背けたりしているパーツのようだった。ショックから自分を守りたいという気持ちはよくわかるという話をした。でも具体的にどうしたら癒やされるのかはわたしも分からない。なので、まだこうして怒ったりしてもいいということ、また少しずつ話をして欲しいということを言った。
たぶん関わるパーツは他にもあって、特に最後のパーツに触れられるのが嫌だと思っているパーツがいるみたいだけれど、そこまでは辿り着けなかった。
こんなにいろんなパーツがあるものなのだろうか?薄情なことにだんだん把握できなくなっている気がする。パーツは必要なときに出てきて、そうでないときには休んでいるとすると、一度休めた子たちはもう大丈夫なのかもしれない。それに、他にももっとたくさんのパーツがいるのは直感としてある。だからこそ症状などは簡単に消えないのだろう。こんなにいろんなパーツがそれぞれいろんなことを守ったり恐れていたりするのかと思うと、どうやら自分の人生というのは困難がたくさんあったようだ。そりゃあ病気にもなり、他人に苛立って縁を切り、孤独を好むようにもなるというものである。