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傘という不思議な道具

 何やら雨が多いこの頃である。南西諸島は梅雨入りしたらしい。平年よりは少し遅いのだとか。


 わたしは傘を持つたび、不思議な道具だな、と感じる。雨が降る。濡れたら不便だ。だからそれを遮る。遮るものを持ち歩けば移動できる。なんとも単純な道具だ。

 今やスマホひとつ、スマートウォッチひとつでなんだって出来る時代だ。AIは人間より賢い。それなのに人間は未だに傘を持って歩いている。時にぶつかったりぶつかられたり、電車やお店に置き忘れたり、お気に入りの傘が盗まれたり。

 子どもの頃から漠然と、原始的な道具のような気がしていた。確かにジャンプ傘とか、形状を工夫したものとか、凄く軽量化されているものとか、少しずつ進化している。それでも、頭の上に遮るものを置いて濡れないようにしよう、という発想はずっと変わらないのだ。
 初めに傘を考えた人は凄いのかもしれない。最初から必要十分な機能を考えついたということだから。その機能を洗練させることは続いているけれども、ひとことで言えば全部同じ機能だし、傘で改札が通れるようにしようとか考え始める人はいない。せいぜいGPSを付けてなくさないようにするくらいだ。

 そんなことを考えながら傘の歴史について調べてみると、意外なことが分かった。
 まず最初の傘は雨ではなく日光を遮るためのものだったらしい。いわゆる日傘だ。折りたたみもできないので従者が持ち歩く、高貴な人専用のもの。確かに傘はなんとなく貴族的なイメージもある。
 雨や雪を防ぐための量はアジアで発達してしたもののようだ。笠地蔵とかに出てくる、帽子のようなタイプのやつだ。こっちの方が両手が空いて便利だと思う。オリンピックの時に批判されたりしたけれど、うまいことおしゃれになったらそっちを使いたい。あと自転車に取り付けるタイプは既にある(危ないから片手運転はやめようね)。
 なんとビニール傘は1958年に日本で発明されたらしい。意外と最近じゃん。

 わたしは「土砂降り」ってやつが酷い地域に住んでいて、下校時僅か15分歩いただけで傘をさしているにも関わらず制服のスカートまでびしょ濡れの日々を送っていた。傘なんて役に立たねえ。盗まれるし。だからこそ、新機能が欲しくなってしまう。もうかっぱを着たらとも思うけれど、あれはあれで着脱が面倒。

 昔何かで空気の層(?)で雨を弾く機械が開発されていたな、と思ったら10年以上前だし全然実用化されなさそうだった。そりゃそうだよね、たぶん周りに水滴を弾き飛ばしているだろうからめちゃくちゃ迷惑だし。と思ったら、クラウドファウンディング周りでごちゃっとしてたりもするらしい。なんだそれ。結局実用化はまだ先の話みたいですね。

 天気予報を見て、雨かあと思って傘を持って、周りにぶつからないように電車に乗って、なんて考えると憂鬱だ。もうそれだけで家から出ないと心に決めるくらい。

 せめて可愛い傘を買おうかなあ。キラキラ虹色のビニール傘が欲しいです。

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