軽さと重さ、心の密度
自分では深く思い悩んでいることなのに、ヘラヘラとその内容を話してしまうことがある。さも面白い経験かのようにコーティングして。むしろ重い話だからこそ、軽くしか話せないのかもしれない。
その重さの違いは、他人から離れた瞬間に苦痛となって僕にのしかかる。まるで宇宙ステーションから帰ってきた宇宙飛行士のようだ。
本当は違うのに。でも話したのは自分だ。いや、あの時の自分は自分だったのか?酒を飲んでいたならまだ言い訳のしようもある。しかし素面なら、自分は自分に対して疑問と嫌悪感を抱くしかない。
他の人は、こんな感覚に陥ることがあるのだろうか。僕は他人が考えていることを知りたいとずっと思っていた。それはきっと、他人は必ず本心を口にはしないはずだという考えから生まれたものだ。最近やっとそのことに気がついた。僕は嘘ばかりつくから、みんなそうだと決めつけていたのだ。
さて、実際はどうなのだろう。永遠に答えを得ることのできない問いだ。何かしらの研究を探せば、ある程度の答えは見つかるのかもしれない。しかし僕が知りたいのはそんな一般論ではなく、統計的な結果でもなく、目の前のあなたがどう考えているのか、ということだ。あなたは本当は僕のこと嫌いなのではないでしょうか。軽いノリにコーティングした重い話題に引いてはいないでしょうか。もっと面白い話がしたいとは思っていないでしょうか。
逆に、何度か書いたようにほとんど何も考えていないのかもしれない。ただの雑談、世間話のひとつと捉えて受け流し、そのうち忘れてしまうのかもしれない。もしそうだったとしても少し悲しい。心のどこかでコーティングの中身の重力に気がついて、思い切り抱きしめて慰めて欲しいと思っているから。
お互いの言葉の軽重について、常に計りかねている。もしかしたら他の人々はもっと正確な秤を持っていて、僕だけ何もわからないまま話しているのかもしれない。しかしどれもこれも「かもしれない」のままだ。宙ぶらりんの心はいつも不安で、地球でも月でもいいから安心できる場所に辿り着きたいと願っている。
あなたの愛してるよは、僕の大好きより重いですか、軽いですか。