夢は遠く、思い出のあとさき
もう夏が終わる。今年は花火もしていなければ海も見ておらず、いちばんの遠出は最寄駅の沿線の終点だった。僅か20分の距離。最後の花火は最初からやってこない。
じゃあこの夏はなにしていたのかというと、ほとんど寝ていて、少しの読書と、研究らしき何かと、ちょっとだけ趣味のこと。夏の終わりにかけて希死念慮は増していった。
ああ、こんなこともうやめようと思った。無理をして先にすすんでも、わたしのキャリアらしきものはたぶんどこも袋小路だ。行きたい業界に蔓延るパワハラ、過重労働、成果主義、わたしが苦手なものたちのオンパレードだ。
けれど何でこんなことをやっているのかという話を他人に伝えると、やっぱりやらなくちゃと思う。世界が全部全部クソでも、それを少しでもマシに出来るならそれをやりたいと思うから。それは本当だと思う。
人を人とも思わないような行為に傷ついた人たち、とりわけ子どもたち、そんな人たちが何とか救われる道はないかと探す。
その反対に、頑張ろうと思っても何もできない自分がいる。プレッシャーに弱い自分がいる。たくさんのことに不安を感じる自分がいる。人が怖い自分がいる。いくらやりたいと思っても、何にもできないじゃないか。
わたしができることってなんなんだろう。今は泣きながら家に帰って、YouTubeを観てやっと落ち着いて少し趣味のことをやって、なんとか日々を送っている。お金のことなんて考える必要がないならずっとこうやって過ごしていたいと思う自分もいる。
その選択をしたとして、後悔するのだろうか?やりたいことってそもそも何なのか。人を助けたいなんてただの思い上がりで。そもそも自分すら救えていないじゃないか。いや、だからこそ自分で自分を救うための努力なんだよ。
別に何か大きなことを成し遂げる必要はない。満足できる日々を送れたらそれでいい。ただこんなはずじゃなかったって思わなければ、それで。