親ってなんなのかな
今度両親が離婚する。それは前々から知ってはいたし、その事自体は何もショックではない。20年以上望んでいたことだから、むしろ喜ばしいこと、のはずだった。
親1は既に仕事を退職していて、退職金も貰い、その中から生活費その他を出している。今の収支はよく分からないが、かつては親1の収入でほぼ暮らしていたので、そう変わっていないだろう。親2はまだ仕事を続けているが、そろそろ定年退職する。親1は自分の退職金は使われたのに相手の退職金を貰わずに離婚するのは癪だと言って、離婚を決めてから親2の退職を待っていた。まあそれは夫婦の感情のことだし、好きにしたらいいと思っていた。
親1はわたしの現状に多少理解があり、わたしがうつ病で苦しんでいるのは親2のせいである、それを知らしめてから離婚したい、慰謝料も取りたいと言っていた。そうなると調停離婚か裁判かになるだろう。親1もそれを考えているようだった。
しかし、この前親1に会った時に、離婚届の証人欄に名前を書いてくれと言われた。証人欄は協議離婚のときのみ書く必要があるはずだ。あれ、調停するんじゃなかったのか?と思った。けれど、離婚自体は親たちの問題だ。別に協議だろうと調停だろうと何でもいいのだが、以前口にしていたこととの矛盾は少し気になった。
わたしの悪いところでもあるが、親1にそのことを突っ込みきれず、また離婚してくれるならありがたいという気持ちもあり、証人になることを承諾してしまった。しかしいま考えればあまり良い選択ではなかった。本来、夫婦間でどうにかするべきことで、子どもに証人の負担をさせるのは道理に合わないと思う。しかも、わたしは幼少期から親の心理的な面倒を見ていたという感覚がある。両親がそれぞれ相手の悪口をわたしに言っていた、とか。それなのにまだ親の面倒を見なければならないのか、と後から悲しくなった。
軽く、結婚もしたことないのに離婚届にサインする人生ウケるねと親1に言った。そうすると、それもちょっと考えたし申し訳ないんだけど書いてよ、と言われた。考えた上で、わたしが残念に思う気持ちなどどうでもよかったらしい。そう、わたしの気持ちなんて親にとってはその程度なのだ。
これまで一応、親1に関しては直接的にモラハラやDVをしてきたわけではないし、親2のように悪かったわけではないと思っていた。しかし、そもそも親2のDVを止めず、わたしへの心理的虐待を容認していた人間である。そんな人間が、うわべだけわたしの心配をし、物質的な面倒を見ているからと言って、わたしのことを大事にしているわけなかった。いまわたしの心配をしているのも、結局は親1本人のためなんだろうと思う。罪悪感とか後悔とかを軽くしたり、自分はいい親だと思いたいのだろう。
離婚は勝手にしてくれたらいい、別に、だけど夫婦間の問題の最後の決着の機会まで子どもに押し付けていては、本質的な問題は何も解決しないだろう。親たちの精神的な課題、人生の課題、そういったものの解決のためには二人できちんと話し合うか、話し合いが決裂したとしてもその過程が重要なのではないか。子どもであるわたしに証人を押し付けるというのは、その解決を放棄することと同義だというのは言い過ぎだろうか。
たかが証人欄だ、確かに。名前書いて本籍書いて住所書いたら終わり。役所に出した後は誰も見ない。そうかもしれないけれど、両親の失敗の成れの果てを保証するのは子どもの役割なのだろうか。そんなわけないだろう。それに、実際的な問題として、たぶん親2は離婚やそのほかについて否認と抵抗をすると思われるから、攻撃の矛先がわたしに向かう可能性もある。幼児に平気でモラハラする人間性のやつなのだ。明日刃物を持って現れても驚かない。そういうやつの敵にさせられたのかと思うとそれも憂鬱だ。親1にはきょうだいも友だちもいるんだから、いくらでも頼む相手はいただろうに。子どもの平和や幸せよりも、自分の世間体の方が大事らしい。まあよく考えたらずっとそういう人間だったな、親1は。
親への期待みたいな軟弱な考えをきちんと壊してくれたということについてだけ、今回の件は良かったと言えるだろう。それ以外については最悪だ。けれど、わたしは親に特に大事にされていなかったという事実にしっかりと向き合い、自分が自分の親代わりとなり、自分を大事にする、そういう契機にしようと思う。