自己存在の証明を
子どもが欲しい、と言う友達にその理由を聞いた。答えは「自分が生きた証を残したい」だった。僕はさらに問いかけた。「論文や作品やその他の方法でも、自分の生きた証は残せるじゃないか」「自己実現のために子どもを作るっていうの?」彼はそうだと答えた。それでも子どもが欲しいと言った。子どもを作ることでしか彼が求める生きた証を残すという目的を果たせないのだ。
僕はそれで納得した。彼は自分がこの世に存在しているということに満足や、喜びや、その他の快い感情を抱いているのだろう。だからこそ自己が同じような存在を作り出したいのだ。今のところ、人間が生物を、特に感情を持てるほど高度な生物を作る方法はひとつだけだ。だからそれに拘る。了解可能。
反対に僕が子どもを欲しがる人に疑問や嫌悪感を抱く理由も分かった。僕は自分がこの世に存在していることに対して不快感を抱いている。自分の存在は罪だ、消えてなくなりたい、生まれてこなかったことにしたい。そう思っている。だから子どもを持つなんて有り得ない。
しかし人間の作り出したものは愛している。音楽や絵や小説や、その他たくさんの美しいもので世界が満ちている。それを作り出したのは人間だ。僕がもし何かを残すなら、そのうちのどれかが良い。
それを受け継ぎ、広めるのもまた人間だ。だから僕だって間接的に新しい人間が欲しいと思っていることになるだろう。けれど直接には、やはり、嫌だとしか思わない。世の中には醜く、愚かなものやことも溢れているから。
全員のエゴがぶつかり合う。それが美しかったり、汚かったり、愚かだったり、様々な音を立てる。いつか人類が滅びるその日まで。
だから僕は、その愚かさに傷つけられる人を少しでも減らしたい。
本当は今すぐに人類が滅んで欲しいけど。それはどうやら無理のようなので。
だれかの存在証明が、だれかのせいで傷つきませんように。