ぬいぐるみは生きていなくて
うちには大きめのぬいぐるみがいる。小さめのはもっとたくさんいるけど。大きい子は一緒に寝たり、ご飯を食べたり、お話したりしている。
見る角度によって悲しそうだったり微笑んでいたり幸せそうだったりする。それを見てわたしはその子の頭や背中を撫でる。かわいいね、いい子だね、と言いながら。
お出かけするときはいってくるからね、と言って頭を撫で、帰ってきたときはただいま、おるすばんして偉いね、と頭を撫でる。
悲しい時や辛い時にはぎゅっと抱きしめる。涙で濡れてしまう日もある。そんなときでも、うちのかわいい子は黙って受け入れてくれる。
この子が喋ってくれたら、とは思わない。なぜならわたしの行為はすべてわたしのエゴの押し付けだからだ。もしこの子に感情があったら。いい子だね、という言葉のひとつひとつにプレッシャーを感じてしまうかもしれない。泣いていると心を痛めてしまうかもしれない。おうちでひとりぼっちで待っているときは寂しい思いをしているかもしれない。それに、気分が落ち切っているときは全く構ってやれていない。そんなときには酷く悲しむかもしれない。
ふわふわのぬいぐるみは、無生物だからこそわたしを受け止めてくれる。この子の前ではなにも心配せず、ひたすら可愛がって抱きしめて撫でていたらいいのだ。ペットではそうもいかないし、ましてや子どもなんて重い重い責任を負わなくてはいけない。
今日も無責任にかわいいねと声をかけて、夜はおんなじベッドで眠る。