人類とか反出生とか

 僕はどちらかといえば反出生主義に近い考えを持っていると思う。多分同意不在であるから出生は倫理的ではない、という類型に近い。

 人生、何があるか分からない。特に今の社会では、運に近い要素で人生の重要な部分が決まってしまう。親ガチャ、遺伝子ガチャ、学校ガチャ、友達ガチャ、みたいなものたち。それがだんだんとあからさまになってきて、みんな平等とか努力すれば幸せになれるとか、そんなの嘘だってことがだんだん常識になっていく。
 僕がそれに共感するのは、自分の家庭環境が良くなかった、と思っているから。父親のハラスメント、それに立ち向かわない母親。皺寄せは子どもに。こんなのやってらんないよと思う。

 「生まれてこなければ良かった」という形、非存在は存在より「善い」という形の反出生主義は、一応否定する理論が存在する。しかし「子どもを産むのは倫理的か?」という問いに対しては、あまり議論がないように思える(もちろん僕の知識不足の面も大きい)。

 僕にとっては「生まれてこない方が良かった」という形の反出生主義はあまり重要ではない。個人としては、生まれてきて良かったな、と思える日が来るといいな、と思ってそれなりに考え行動している。それはただ自分のため。他人のためではない。もしそんな日が来ないと確信したら、全部諦めるか死ぬかしようと思う。死ぬのもそう簡単ではないけれど。

 それよりも、子どもを産むのは倫理に反しないか?という問いの方が大きな問題だ。ごく個人的なことで言えば、僕は僕自身の問題を解決していないので、子どもを持つとその問題は子どもにまで引き継がれる可能性が高いと思っている。だから少なくとも、自分が子どもを持つことは倫理的ではないと考える。他のひとについては分からない。けれど直感としては、どんな親でも子どもを絶対幸せにできる保証はないのだし、それなら子どもを産むのは倫理的でないと感じる。

 話が飛躍するように見えるかもしれないが、僕は人類の作ったものが好きだ。音楽、絵画、彫刻、建築、文学、映像作品、その他たくさんの美しいものたち。それらは人類が存在し続け、なんとか守り続け、受け継ぎ続けた結果生み出されたものたちだ。そして僕も何かを作り、まあ認められる可能性は低いにしても、どこかに作品が残って欲しいと考えている。しかしそのためには僕より下の世代の人類が存在している、ということが必要不可欠だ。自分自身の作品は残らなくても、今自分が好きなものはどこかへ受け継がれていって欲しいと思うし、人類はさらに創作物を増やし、残し、守っていって欲しいと思う。

 つまり、子どもを産むのは倫理的でないと感じているのに、間接的には人類の存続を、即ち出生を望んでいるということになる。大きな矛盾を抱えている。

 子どもを産むのが倫理的でないと感じるのは、その子が苦しむ可能性があるからだ。それならできるだけ人類の苦痛というものを減らせるように努力したらいいのではないかと思った。例えば病気、例えば貧困、それらを減らすためにたくさんの人が努力して来たし、今もこれからもその努力は続くのではないかと予想される。だから自分もそこに参加し、この矛盾を少しでもなくしたいと思う。

 でも、どれもこれも僕自身のエゴだ。いやそもそも、子どもを欲しいとか産むべきじゃないとか欲しくないとか全部今生きている人間のエゴだ。でもだからこそ、少しでもマシな社会になって欲しいと思うし、そこにほんの砂の一粒でいいから貢献したいな、と思う。

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