親の心理的な面倒見るのもうやめる
何日か前まで母親が来ていた。そうなるとセルフケアどころではなくなる。帰ってからも疲れてベッドでスマホばかり見ている。眠ることもしない、セルフネグレクト三昧。
そのことについてもう少し考えてみる。まず母親が来るのは家事とかをやるためである。それでわたしが楽に過ごせると思うみたいだ。別にそんなことはない。一人でいても食事は考えてやるし、掃除なんかは苦手にしても自分で工夫してやる。逆に少しずつ自分のやりやすいような形にしてるので乱されているまである。
次に、母親はわたしのいまの状況について何らかの手助けをしたいと考えているらしい。なので本を読むとかはする。これは良かったと薦めたら読んではくる。こういうのを見ると、他のもっとひどい親は、自分は悪くないと言い張るだけだから、母親は良い親ではないかと考える。反省して何かしようとしているのだから、良い親な気がする。
でも、結局毎回同じことしか言わない。わたしが変わるには親の手助けではなく自分の力が必要なのだと説明しても、理解はするけど納得はしない。自分のことをまず考えた方がいいと思うと伝えても同じ。やっぱり、不安であることをわたしの面倒を見ることで解消しようというのは変わらないのだろう。
わたしが子どもの頃はそれをもっと見えない形でやっていた。子どもの前でわざわざ疲れたと言ったり、仕事の愚痴を言ったり、心身の不調を訴えたり。わたしがそれを一生懸命聞くのでよい話し相手だと思ったのだろう。一方でわたしの話は仕事が忙しいということで聞いてはいなかった。無意識ではあるのは分かるが、つまり自分の相手をしないと面倒を見ないという脅しだ。
今はまた方法を変えて、より依存的な反応をしているのだと思う。心配ごと悩みごとを事細かに話し、どうしたら良いかなどと聞いて、わたしがそれに応える。母親のカウンセラーみたいなことをなぜかやらされている。自分が悪かったと話すのもその一環で、根本的な原因を見つめることはせずに、わたしに表面的な解決策を求めて安心している。自分でも情報を調べたらいいとか、わたしも専門家ではないと話しても、母親は自分でできる自信がないなどと言う。わたしだって自信はないけれどもやっている。これまで間違えたと思うこともあったし、勉強不足だったと思ったこともたくさんあったけど、それでも自分でやろうと思う。人に頼るなら専門家に頼るべきだとも思う。
しかし、こう書いてみても、では母親も悪いのでさっさと拒絶し離れようとはならない。心理的な抵抗が大きい。もしかしたら理想的な愛着がこれからでも作れると夢想しているのかもしれない。罪悪感もある。生活費もくれているのだから無碍にはできないと思ってしまう。
そしてそんな自分を悪いと思って責める。確かにうまく進まない原因ではあるけれども、しかしそう思うことも理由があるし、悪いわけではない。自然な反応の一つだとも思う。ここで自己否定したくなるのをこらえて、もう少し現実的な対策をしていかなければ、と思う。つまり少しずつ母親から離れる作戦を立てるのである。
とりあえず、LINEで次の訪問を先延ばしにするのが目標で、少なくとも年内は合わないようにしようと思う。年末年始は来たがるだろうが、友達と会うとでも言っておこうかと思う。
普通の親子の距離感とか健全な関係などというものが全く分からない。どういうことについては話してなにをしないのが良いのだろう。しかしいま自分の状況に限って言えば、できるだけ会わないというのが一番良い選択なのはわかる。それを実行できるように工夫なり作戦なりが必要だと思う。がんばる、だけでは上手くいかないことも多いから。