ブライアン・メイ博士の論文を読んでみた
クイーンのギタリストであるブライアン・メイはインペリアルカレッジで天体物理学の研究をし、博士号を取得しています。そんな彼の研究の集大成である博士論文を簡単に紹介してみたいと思います。クイーンファンの皆さんにブライアンの研究内容を知って欲しい!という謎の情熱を持つ、しがないクイーンファンが書いております。
お読みになる前に
出来るだけ簡単になるように書いているので、正確さには欠けている部分もあります。天文学辞典からの引用(背景がグレーになっている部分です)やリンクで補っておりますが、読まなくても分かるように書いています。
分かりにくい部分がありましたらお気軽にコメントやTwitterでご質問ください。
また、全くの畑違いな分野の人間が書いておりますことをご了承ください。筆者の意図しない間違いが含まれているかと思います。お気づきの点があればコメントいただけると嬉しいです。
Abstract
まずは研究の大まかなまとめから始めます。
博士論文のタイトルは「A Survey of Radial Velocities in the Zodiacal Dust Cloud」となっていて、日本語に直訳すると「黄道光塵雲の視線速度についての調査」です。何やら難しげな和訳になってしまいますが、簡単に言ってしまうと、夜空に見える不思議な光(=黄道光)が何から出来ているのか、どこへどれくらいの速さで向かっているのか(=視線速度)を調べようということです。
どうやって調べるのか、と言うと天体観測とシミュレーションです。まずは黄道光を高性能な望遠鏡(のようなもの)で観察して、そのデータを基にどんな動きをしていそうか予想する、といったことをしています。
研究を理解するためのイントロ
黄道光って何?
つまり黄道光とは……
黄道光は夜空に見える光ですが、天の川とは違うもので、通常の条件では天の川より暗くはっきりと観察することは難しくなっています。観察に適した条件は、雲や地上の光、月などがなく、できるだけ赤道に近い熱帯地域であることです。西の空では夕方の黄昏の終わり頃から、東の空では夜明け前に円錐状の光として見ることができます。この条件は都会(東京やロンドン)では揃えることができません。そこでブライアンはテネリフェ島の標高2567mにある観測所で黄道光を観察することになります。最近もテネリフェ島を訪れた様子がインスタグラムにアップされていました。
観察する条件が厳しい光なので、人類は長い間この光の存在に気がついていませんでした。天の川に関する神話や伝説は世界中に数多く存在しますが、黄道光についてはっきりと記されたのは17世紀に入ってからです。
ではなぜあまりはっきりと見えない光のことを研究する必要があるのでしょうか?もちろん科学的好奇心もありますが、それ以外にも必要性がいくつか挙げられています。
まず一つは有人宇宙飛行が始まったことです。ブライアンがこの研究を行なっていたのは1971年頃ですが、その時には既にガガーリンもアポロ11号も宇宙飛行に成功しています。人類はこれからもっと先の宇宙を目指そうと頑張っていた時代なので、宇宙に関する情報は沢山必要でした。黄道光の正体がもし岩の塊だったとしたら、知らずに宇宙飛行をしてしまえばいつかぶつかってしまうかも知れません。その問題を解決するためにも、黄道光の正体を研究し、どこへどんな速さで進んでいるのかを調べなければいけません。
次に、黄道光の元はどうやら太陽系にありそうだということが分かっていたので、黄道光について調べることで太陽系の起源を知ることができるかも知れないと考えられました。
また、宇宙にある物質を調べることになるので、生命の起源について分かるかも知れないと言う期待も持たれていました。
ちなみにこれらの目的は近年行われたはやぶさの調査も同じような目的を持っており、そのためブライアンははやぶさにも非常に大きな関心を寄せているのではないかと思います。
黄道光について既に分かっていたこと
突然ですがまず、光の性質について説明します。光は波の性質を持っています。海の波や音は水や空気がないと進めないのですが、光は真空の中でも通ることができます。また、光に色があるのは、色によって波長が違っているからです。例えば緑色の光はおよそ500nm、赤色の光はおよそ700nmです。人間が見ること出来る光の波長は約380nm~770nmで、これより短いと紫外線、長いと赤外線となります。
太陽からの光には、人間にも見えない光も含めてほとんどの波長の光が含まれています。しかし、地球に辿り着くまでの間に、いろいろな物質(酸素やマグネシウムなど)が特定の波長の光だけを吸収してしまい、その波長だけ消えてしまいます。そのため、太陽光スペクトラム(簡単に言うと虹のこと)には消えてしまって暗くなっている箇所がいくつもあります。
そして、黄道光にも太陽光と同じような箇所に暗い部分があることが分かりました。つまり、黄道光は太陽光を反射したものだと考えられるのです。
また、この太陽光を反射しているもの(=黄道光の正体)は隕石と同じようなものでできていること、小さな塵程度の大きさであることも分かりました。
とはいえ、まだ正確な成分や大きさ、そして何よりどのあたりにこの塵があるのか、ということは分かっていませんでした。そこでブライアンの研究が大事になってきます。
視線速度って何?
つまりどういうこと?
地上で速度について考える時には、「北西に時速20kmで進む」などと表現することができます。しかし宇宙では、地上のように東西南北などで場所を決めることができません。そこで、地上に立っている人(観測者)を中心として、星などがどのくらいの速度で遠ざかっているか近づいているかを考えます。この速度の測り方を視線速度と言います。
ドップラー効果について
この説明文の中に「ドップラー効果」という言葉が出てきます。救急車が近づいてくる時と遠ざかっていく時ではサイレンの音の高さが違って聴こえるあれです。それがなぜ宇宙の話に、というと、先ほど説明した「光は波の性質を持つ」ということがポイントになります。サイレンの音は波ですが、光も波です。つまり光にもドップラー効果が起こるのです。
光が進む速度はとても速いため、人間の目では光のドップラー効果を見ることはできませんし、地上では起こりません。しかし宇宙では星がもの凄い速さで地球に近づいたり遠ざかったりするので、機械で測定するとドップラー効果が起こっていることが分かります。
ドップラー効果は、音や光を出している物体が動くことで、それを見たり聞いたりしている人にとっては音の高さや光の色(つまり、波長の長さ)が変わってしまう、という現象です。これを使うと、本当の光より赤っぽくなっている(=波長が長くなっている)から遠ざかっているんだ、本当の光より青っぽくなっている(=波長が短くなっている)から近づいているんだ、ということが分かります。
結局、黄道光とドップラー効果には何の関係があるの?
先ほど、黄道光は太陽光に似ている箇所が暗くなっている、という話をしました。太陽光では、暗くなっている箇所の波長が厳密に分かっています。しかし、黄道光ではその場所が少しずれているのです。そのずれこそがドップラー効果で起こったものです。ずれがどのくらいか(短くなっているか、長くなっているか)を測定することで、最初の目的だった「黄道光はどのくらいの速さでどこへ移動しているの?」ということが分かってしまうのです!
イントロのまとめ
黄道光とは、夜空に見える光のことで、天の川より暗く、条件が揃わないと見えない
黄道光の正体は、宇宙に漂っている塵だと考えられる
視線速度とは、地球から見た時に星がどこへどのくらいの速さで移動しているかという意味
ブライアンの研究の目的は、黄道光の塵の視線速度を知ること
そのためにドップラー効果を使う
ブライアンが研究したこと 〜観察の準備編〜
ここまででやっと導入部分が終わりました。お疲れ様です。それでは本題の、ブライアンの研究内容について説明します。
ブライアンもドップラー効果を使って黄道光の速度を測定しようとしました。しかしどの波長を選ぶかが大事で、見えづらい波長にしてしまうと精度が悪くなってしまいます。そこでブライアンは過去の研究を参考にして、太陽光の518.36nmのところにある暗い箇所を選びました(ちなみに色で言うと緑色です。これはマグネシウムが太陽の光を吸収したせいでできた暗いところです)。この暗い箇所がどのくらいずれているかを知ることで、黄道光のドップラー効果が分かるのです。
さらにどこで観測するかも大事です。最初に説明した条件を揃えるために、西アフリカの沖合にあるスペイン領テネリフェ島に観測しに行きました。しかもその場所に建てるための実験用の新しい小屋、その中で観測に使うための電子機器などをブライアン自身が設計しました。クイーンで電子工学といえばジョン・ディーコンですが、実はブライアンも電子機器を作れてしまうのです(レッドスペシャルを作ったのだからそりゃそうでしょって気もしますが)。
そして黄道光の光を捕まえて記録する機械も必要です。それがシーロスタットとファブリ・ペロー干渉計です。
こちらもつまりどういうことかというと、地球の自転のせいで、望遠鏡を同じ向きに固定しているとそのうち見たい星が視界から外れてしまうので、それを防ぐために自転に合わせて角度を自動的に変えてくれる、という望遠鏡の強化版です。同じような機械が、以前の来日公演の際にブライアンが訪れた京都大学花山天文台にもあるそうです。
ファブリペロー干渉計は、光の波長を高精度で測定するための機械です。シーロスタットで集めた黄道光の光をこの機械で測定することで、どの波長の光が強く(明るく)て、どの波長の光が暗いかが分かります。
ブライアンはさらにこれらの機械のレンズや防光カバー、その他沢山の改良を施しました。また、波長がどの時間に測定されたかを記録するための機械も作り、データ収集の正確性を上げました。
準備編のまとめ
ブライアンは黄道光の観測とデータを集めるためにテネリフェ島に小屋を建て、観測用の装置を作った
観測用の装置は、黄道光の光を集め、その波長と強さ(明るさ)を記録するもの
ブライアンが研究したこと 〜結果編 その1〜
データの解析
こうして準備した機械で、ブライアンは黄道光を1971年の9~10月と1972年の4月に観測しました(クイーンのデビューが1971年であったことを考えると、ハードスケジュールだったのだろうと想像されますね)。
そこで得られた測定結果をもとに、注目していた518.36nmの波長についてさらに調べました。最初のデータだけではまだまだ荒く、ドップラー効果が起こっているかどうかが分かりません。そこで黄道光以外の光を削ったり、機械の誤差を調整するなどして、より研究向きのデータになるよう精度を高めました。
1973年頃になると、プログラミングを行い、大学のコンピュータで実際にどれくらいのドップラー効果が起こっているのかを確かめる分析に入りました。当時のコンピュータは1フロアを占め、プログラムを処理するのに半日ほどかかったと書かれています。
ドップラー効果は起こっていたの?
ドップラー効果が起こっていたか判断する方法は、集めた黄道光の波長の中で一番暗かったところを探し、それを518.36nmと比較する、というものです。導入で述べたように、黄道光の最も暗い波長が518.36nmより短くなっていたら近づいている、長くなっていたら遠ざかっている、と判断できます。
そして、黄道光の最も暗い波長はおよそ0.2nmほど短かったり長かったりしていた、というのが結果です。朝の時間帯は短くなっており、夜の時間帯は長くなっていたのです。この結果を基に、ブライアンは様々な仮説を考え、検証します。
黄道光はどんな動きをしていたの?
ブライアンが最初に検証した仮説は、「回転塵雲モデル」で、黄道光の正体である塵は太陽の周りを回っている、というものです。回る向きは地球と同じ方向、地球と反対方向、どちらも考慮します。このモデルはある程度ブライアンの実験結果と一致していました。現在でも、このような動きをしている塵は実際にあると考えられています。
また、実は地球上の塵が黄道光の正体(あるいは、光の正体に一部影響を与えている)という仮説もあったのですが、自身の実験や他の研究者の実験から、地球上の塵はほとんど関係がない、とブライアンは結論づけています。
さらに、ブライアンは自分自身で新たな仮説を打ち出しました。「黄道光の塵は太陽系内を漂う恒星間の塵ではないか」というものです。これまでは太陽系の中の塵だけが関係あると思われていたところに、太陽系の外の塵も関係しているのだという新しい考えを思いついたのです。地球の動き、太陽の動き、そして塵の動きを考慮して、実験結果と照らし合わせてこの仮説が当たっていると考えました。この仮説は1974年に考えられたものですが、残念ながらクイーンの活動のために研究がストップしてしまったため、論文として発表されることはありませんでした。しかし、20年後の別のグループの調査により、ブライアンの仮説通り太陽系の外から塵が流れ込んでいることが分かり、仮説が正しそうだということが分かりました。
「回転塵雲モデル」もある程度正しいということが分かっていたため、全体の結論としては、およそ10%の塵が太陽系の外からやってきていて、他の塵は太陽の周りをぐるぐる回っている、というものになりました。
この結論を見ると、論文のタイトルである「黄道光塵雲の視線速度についての調査」の意味もなんとなく分かってくるような気がします。
結果編その1のまとめ
観測結果をプログラミングなどで処理し、ドップラー効果を調べやすくした
黄道光の最も暗い波長は、太陽光の最も暗い波長より少し短くなったり長くなったりしていた
ブライアンは観測結果を基に、いくつかの仮説を検証した
ブライアンは自身で新しい仮説を建て、それが正しいことを証明した
黄道光の塵は、太陽の周りを回っているものと、太陽系の外からやってきているものがあることが分かった
ブライアンの研究 〜結果編 その2〜
この部分はおまけに近いので、軽い気持ちで読んでください。しかしブライアンの凄さが特に分かる部分ではないかと思います。
結果編のその1ではずっと、「最も暗くなった波長を調べた」と書いていましたが、実はその最も暗くなった部分をよくよく調べてみると、ほんの少しだけ明るくなっている波長があったのです。つまり、広く見ると一番暗いのだけれど、その一番暗い部分だけをよく見るとちょっと明るくなっている部分があった、ということです。
これは元々の研究の目的とは違うのですが、すごい発見でした。みんな暗くなっているとばっかり思っていたのに、実はちょっぴり明るくなっていたのですから。
そこでブライアンたちはこの結果を論文にまとめ、1972年にNature誌に発表しました。Nature誌は1869年から出版され続けていて、科学技術を中心とした学術的な論文を載せている雑誌です。これに掲載されたということは、いろいろな分野の中で新しい発見だと評価されたということです。現在でもNature誌に載った論文は、新しく重要な研究だということで世界から注目されます。そんな凄い雑誌に若くして論文を発表したブライアンはやはり凄い研究者でもあったのだなあ、と個人的に感じています。
現在、そして未来へ
ブライアンの研究は1971年頃から1974年まで行われていたもので、博士論文は2007年に書かれています。そのため、論文の中には彼が研究から離れていた間に分かったことについてもまとめられています。今回はブライアンが何をしていたのか、ということに焦点を当てているので、その部分はごく簡単に紹介したいと思います。
数十年の間に技術は発展していき、人工衛星や探査機、そして望遠鏡はさらに改良されていき、黄道光の観測にも役立ちました。
探査機が宇宙で黄道光を観測することで、まだ分かっていないことも分かるようになると考えられています。宇宙にはまだ正体の分からない光があり、それらについて調べることで黄道光のこともより詳細に知ることができるのです。
また、コンピュータも飛躍的に発展しているので、さらに複雑なモデルについても考えることができるようになりました。
もしこれらについて詳しく知りたい方は、IRAS衛星やCIBER実験といった単語で検索してみても良いかもしれません。
また、ブライアンが応援している小惑星探査機はやぶさ、はやぶさ2は、黄道光に直接関係はありませんが、太陽系や生命の起源について知る、という点ではブライアンの研究と共通したミッションを持っている探査機です。
ここまででブライアン・メイ博士の研究についての紹介は終わりです。少しでも彼の研究や、その凄さについて知っていただければ嬉しいです。
お読みくださりありがとうございました!