それでもおしゃれだと言い張る
最近、ピアスを自分で開けるようになった。きっかけはインダストリアルという、耳を貫通しているような開け方は病院で開けるには高かったから。それなら自分でやってみようかと思って、ネットでやり方を調べた。
YouTubeで簡単そうに開けているひとを見て、これなら出来るかもと必要な道具を揃えた。
開けるのは動画で見たほどは簡単ではなかったけれど、かといって無理というわけでもなかった。一時間ほど格闘して、やっとインダストリアルを付けた。思いのほか綺麗に開いたピアスに上機嫌になった。
それと同時に、途中で失敗して溢れる血を見て懐かしくなった。半年ほど前までリストカットをしていたから。その時見た血と同じ色だった。溢れた瞬間の鮮やかさとだんだん澱んで固まっていくあの感じ。それでなんだか、救われたような気がしてしまった。
ピアスは開けたあともしばらく痛い。それも良かった。余計なことを考えなくて済むし、不安発作も起こらないから。運が良ければ脳内麻薬なのかなんなのか、いつもより気分良く過ごせる。
それで、ピアスをもっと開けようと思った。通販でニードルとピアスをたくさん買って、いつでも開けられるようにしておいた。多くても一週間に一度にしよう、と思いながら。
ピアスをどこに開けようか、どんなのを付けようか、それを考えている時は楽しい。あんまり強そうなのよりは、キラキラして可愛らしいものに惹かれる。自分の耳ならこことここに開けたらバランスがいいかな、なんて考える。アイドルが開けているとか、流行っているとかいうのを見ると自分も同じようにしようかなと思う。
そうやって、これはおしゃれのためにやっていると自分に言い聞かせる。でも心のどこかでは、これは一種の自傷行為だということも分かっている。ひとつ開けたらまたひとつ開けたくなる。ニードルを刺したら痛いけれど、それが良いと思う。失敗して血を出しても、むしろラッキーだと思う。
世間はたくさんピアスを開けているひとに対して、驚いたりあまり好きじゃないと思うかもしれないけれど、明らかに病的だとまでは思わないだろう。だから、わたしにとっては格好の隠れ蓑なのだ。リストカット跡を見られるより何倍も良い。むしろ自分から自慢したって良いくらいだ、これ可愛いでしょうって。親にだって、医者にだって、別に怒られたりやめようとか言われたりしない。というか、耳に何かしらがたくさん付いてたって気づかないひとも多い。
最近はファッションタトゥーを入れているインフルエンサーもよく見かける。ちょうど何人か、自傷行為をやめてタトゥーを入れるようになったというひとを見た。今度はタトゥーも入れてみたいと思う。今はデザインも可愛いし、そんなに大きくなければ偏見も少なくなっているだろうから。
痛みはわたしを救ってくれる。それは確かで、否定しようもない事実だ。それでもこれはおしゃれのためなのだと言い張る。何を守るためかは、まだ分からない。