排除されないように社会性
ひとと関わりたくないので、知り合いが居るところには極力出かけないようにしている。けれど仕方なく会わなければならなかったり、LINEやメールが来たりと、接触をゼロにすることは出来ない。
本当は関わりたくないのだから、他人と接するのにものすごくエネルギーを消費する。そして、わたしはとりあえず当たり障りのないように、愛想笑いをし相槌を打ちお礼を言ってしまうから、それでますます疲れる。たぶん誰にもわたしがにんげん嫌いだって気づかれていないでしょう。
カウンセラーさんに、ひとりでもいいと思うと言ってもらうためにひと月は粘った。わたしがひとと関わりたくないというと、でも孤独は良くないから、と何度も言われた。その度にわたしが首を振り口をつぐみ、そしてだんだん調子が悪くなっていったから、ようやく分かってくれたのだと思う。といっても、これは一時的なものだと考えている気がするけれど。
主治医はまだ友達付き合いを大事にと言う。わたしが反論することを諦めてしまった。だから話半分に聞いて曖昧に頷くしかない。
それでも、ひとと関わらないために、近寄ってきたひと全てを拒絶する態度は取れない。もしそれで相手が傷付いたらどうしよう?せっかく優しさで話しかけてくれたかもしれないのに。そう思って、上辺だけの社会性でなんとかそれらしく対応してきた。
でも本当はそれだけじゃないのかもしれない。集団の中からすこしはみ出たひとに対する、多くのひとの反応が怖いのだ。空気が読めないとか、迷惑をかけるとか、その他の理由で、あのひとと関わらない方がいいと腫れ物に触るようにするあの感じ。それがとても怖い。わたしも少し間違えたら同じようにされる。そんな気がする。だから、なんとなくみんなに避けられているひとが、(機会があればだけれど)、困っていたらどうにかしなきゃと思う。出来る範囲ではそうする。それは優しさじゃなくって、わたしも遠巻きにされ有る事無い事囁かれたくはないから。
きっと、みんながなんとなく面倒くさいと感じたひとを避けるのは本能みたいなものなのだろう。そして、友達と仲良くするのも、わたしに話しかけてくるのも。別に努力していない、生まれつき持った能力。でもわたしは生憎そんなもの持って生まれてこなかったみたいだ。ものごころつく前からずっと、ひとり遊びが一番好きだった。
だからいま、わたしが「みんな」の前で見せている社会性はみんなと違って仮初のもので、後から身につけた猿真似に過ぎない。今はまだ騙されてくれている。でもそれはいつまで保つのだろうか。
そんな関係なんかない方が良いのだけれど、でも集団の中で暮らさず一生を終えるのは無理みたいなので、無理やり捻り出した社会性で生きていくしかないのでしょう。