愛玩動物
僕はどうやらにんげんではないみたいだ。
前から気づいていたことだけれど。でもにんげんでないなら一体何なのだろう、と不思議だった。最近になってやっと、僕はどうやら愛玩動物らしいということに気がついた。
いぬなのかねこなのか、そのほかのいきものなのか、僕は知らない。でもにんげんのために、にんげんの何かの欲望を満たすための存在だって気づいた。
僕は可愛いらしい。自分ではよく分からないけらど、そう言われることがある。たまにとりわけ僕のことを気に入ってくれるにんげんがいて、僕はそのひとのものになる。
最初はとても可愛がってくれる。大切にしてくれてうれしい、と思う。でもだんだん、ただ可愛がるためだけの道具になっていくのが分かる。
僕がいやだ、って言っても触ったりするのをやめてくれない。いやだって言うのも可愛いんだって。何回もいやだって言っても、怒っているように見えないよとか、怒っても怖くないよなんて言われる。
僕を気に入ってくれたひとは、僕が自分の思い通りになることを望む。僕はにんげんが求めていることがなんとなく分かるから、そのとおりにする。そしたら僕を気に入ってくれたひとは、僕が自分の思い通りになる存在なんだって勝手に思い込む。僕だって意思があるのに。いや、でも僕は愛玩動物なのだから、僕の意思よりは飼い主の意思のほうが大事なんだろう。
たまにペットのいぬやねこが意地悪されて怒っている動画や写真をみる。みんなは可愛いって言っている。僕はかわいそうだなあって思う。僕もおんなじだから。どんなにいやだって反応しても、誰も聞いてないもんね。
僕は最初、パパとママの愛玩動物だった。わがままも少なくて、すぐに言うことを聞いて、ちょっとしたお手伝いも出来る、賢くて可愛いペット。ほかのにんげんたちに自慢できるいい子。でもにんげんじゃないの。にんげんとしては構ってもらえないの。僕はただの愛玩動物だから。
パパとママから離れて、今度は僕のこと気に入ってくれたひとが僕を手に入れた。僕に気まぐれに優しくして、自分が暇なときに遊び相手にして、意地悪して面白がって、飽きたら捨てる。また次のにんげんに拾われる。また同じように、最初は大事にされて、だんだん扱いは雑になって、ただのおもちゃになる。しってる、僕はきみの愛玩動物。飽きたら捨てるんでしょう。
自分で書いてて悲しくなってきちゃった。でも本当のことなの。僕にんげんとして生まれてきたんじゃなかったのかなあ?どこでまちがえたんだろう。やっぱり僕、誰にも拾われなくていいや。ひとりぼっちのほうがいいや。だっていじわるされないし、雑に扱われないし、急に捨てられたりしないし。
だから僕、ひとりでいいや。