ひと、癒し、パラドクス

 ひとに傷つけられる。ひとが怖くなる。にんげんなんてもう嫌だ、自分も大嫌い。小さなころに負った傷は残り続けた。

 けれどそれを癒すことができるのもまたにんげんだけだ。傷にそっと手を当てて、大丈夫だよと頭を撫でてくれるひと。

 ひとが怖いから、ひとに自分の傷を見せるなんてありえない。でもそうしなきゃずうっと苦しいままだ。どっちにしてもつらい。ならいっそのこと、

 でもふとしたときに、傷がないところを撫でた優しさが、もしかしてにんげんのことを信じてもいいのかもしれないと思わせる。すくなくとも、このひとは、このひとたちは、って。

 そう思って一歩だけ踏み出してみる。そうするとやっぱり傷が痛む。耐えられなくなって後ずさりする。こんなことするんじゃなかった、ほらね、にんげんって怖いでしょう。誰も信じるものか。

 気まぐれな僕はそれでもまたそとの世界を覗いて、そしてたまに出ていってみたりする。そのときに癒されるか傷つけられるか、それは運次第だ。いや、そのほかの要素もあるけれど。

 にんげんに傷つけられたのに、癒してくれるのもまたにんげん。皮肉なことだ。だから傷はなかなか治らない。かさぶたを剥がしては血を流し、また治りかけての繰り返しだから。

 でもいつか、ほんとうにいつの日か、この傷は痛まなくなって、傷あとを見て、こんなときもあったなあなんて笑える日が来るかもしれない。そうありますように。祈って、裏切られて、誰も信じないと叫んで、また祈って、それを繰り返しながら。

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