どこにもないものを探す
今度のクリスマスプレゼントには、パパとママが欲しい。いい子にしてるから、サンタさん、お願いします。
なんて、昔のアニメの孤児院の子供みたいなことを願う。ちゃんと両親も揃っているのに。
幼児期の記憶はあまりないのが普通らしいけれど、わたしは親が驚くくらい色々なことを覚えている。そのほとんどがあまり楽しくない記憶、辛かった記憶、悲しかった記憶だ。
いちばんたくさん記憶している感情は、「ごめんなさい、わたしのせいで」だ。何か家で問題が起こったら、全てわたしのせいだと思っていた。
父親の機嫌が悪い。わたしのせいだ。さっきぐずぐずしてたから、ちょっと騒いじゃったから、すぐに泣き止まなかったから。そんなことばかりを覚えている。
母親が疲れている。わたしのせいだ。十分にお手伝いを出来なかったから、ピアノ教室なんかに通っているから、わたしの面倒を見なくちゃいけないから、わたしが生まれてしまったから。そんなことばかりを考えていた。
時間を使わせるのも、お金を使わせるのも、全てが申し訳なかった。わたしのせいでたくさんの問題が起こるのだから。
根拠がないわけじゃない。わたしが泣いたりぐずったりするたびに、父親は不機嫌を隠そうともせず周りに当たり散らしていた。母親はそれを見て、わたしに泣くなと言った。お前のせいでこんなことになっているんだぞ、わたしはそんなメッセージを受け取った。
父親はことあるごとに自分の苦労を語った。この家を買ったのは、家電や家具を買ったのは、お前が習い事や塾に行けているのは、俺が稼いできた金のおかげだと。お前のために仕方なく小さな役場の公務員になったのだと、よく語っていた。
わたしが成人してから、それは概ね嘘だったと知った。生活費や家のローンや、学費の半分くらいは母親が払っていたからだ。わたしに植え付けられた罪悪感は嘘のものだった。けれどそれが分かったからといって、罪悪感が消えて無くなるわけじゃない。
母親は優しくて普通の親だった。少なくとも表面上は。しかし本当はそうではない、だってそんな父親に加担していたのだから。
わたしが助けてを求めても見て見ぬふりだった。わたしの言葉が足りなかったのかもしれない、けれど、こんなのおかしいよ、助けなきゃ、と思わなかったなんて嘘だ。そうじゃなきゃ優しさがないんだ。
お父さんが怒るからわがまま言わないで、と言われたときにわたしは捨てられたんだと思った。だからもう助けてなんてはっきり口に出して言うことなんて出来なかった。思ったことを伝えられない親なんて、本当に親なんだろうか?
父親と母親が衝突しないように間に入って、どちらにも気を使う。どちらの愚痴にも大変だね分かるよと頷き、相手への悪口に同調する。八方美人な自分が嫌だったけれど、でもそうしないと生きていけなかった。だって半分捨てられた子だったから。
家事をやって、あれが欲しいなんて言わずに、弟のおむつを変え食事を作り面倒を見て、一生懸命頑張った。家に置いていてもらうために。
はっきりと出て行けとか、産まなきゃよかったとか、いらない子だとか、口に出して言われたわけじゃない。でも家全体を覆い尽くした空気は、わたしにお前はここにいてはいけないのだと囁いていた。だからその声に赦して貰うために、必死に親の機嫌をとっていた。
結果として、これじゃあどっちが親なんだか分からないよ、という状態になったと思う。確かに戸籍にはきちんと親子関係が明記されているし、お金を稼出くるのは両親だし、学校その他の必要なことや物も揃えてくれた。けれどわたしのこころの面倒を見てくれるひとは誰もいなかった。わたしは親のこころの面倒を見ていた。
だからちゃんとした子どもになってみたかった。何も気にせずわがままを言い、泣き叫んだり笑ったり騒いだりする子どもに。だからそれを許してくれるパパとママが欲しかった。でももうそれは叶わない。そんな時間は奪われたままとうに過ぎ去っていってしまった。
父親にはもう会わない。でも母親はよく会いにやってくる。物理的にわたしの世話をするために。それはできているけれど、やっぱり未だにわたしは母のこころの面倒を見ていると思う。母の後悔を軽くするために、わたしは母の行為に付き合っているように思えるから。
やっぱりサンタさんは来ない。失われた時間も経験も戻ってこない。ねえ、わたしのパパとママ、どこにいるのですか。