ドーナツの穴は嘘つきのせいで
わたしは嘘つきだ。小さいときからずっとそうだった。
ママに「パパが怒るんだからわがまま言わないで」って言われて、それに酷く傷ついて、それでもママの言うことだから守らなきゃって思った。だからわがままは言わないことにした。あれ買ってとか、抱っこしてとか、そんなこと言ってはいけないことなのだ。
いつの間にか本心を口にするのが怖くなった。これ苦手だから食べたくないとか、今日は体調が悪いとか、そんなことも言わなくなった。保育園ではひとことも喋らないなんてザラだった。ごくたまに、こうして欲しいって言ったときに先生がびっくりして、しきりに褒めてくれた。それくらい無口な子どもだった。
そうしてわたしは嘘つきになった。怒られるくらい大きな嘘は言わない。怒られるのは嫌いだから。知っていることを知らないって言ったり、その逆を言ったり、昨日食べてもいないものを食べたと言ったり、そんなくだらない嘘をつく。誰かに本当のわたしを知られるのが怖かった。本当のわたしを知ったら、みんなきっとがっかりしたり怒ったり馬鹿にしたりする。パパとママがそうだったみたいに。
くだらない嘘ばかりついていたせいで、わたしは空っぽになっていた。それに気がついたのは最近だった。抗不安薬のおかげで頭を占めていた不安が減って、その代わり自分の中に空いていた穴に気がついてしまったのだ。嘘つきのわたしは本当のわたしを失くしてしまった。
落ち込んでいてもみんなの前では元気に振る舞える。実際話しているときならそれなりに楽しい。けれどひとりになった瞬間、さっきまでのわたしは誰だったのだろうと思う。話しているときには本心だった気がするけれど、あんなの別に本音なんかじゃない。嘘ばっかり言ってたせいで、自分すら騙しかけている。
ひとりで考えごとをしているわたしは本物なのかもしれない。もしそうだとしたら、わたしは本当の自分を誰にも見せたことがない。傷ついているんだとか、寂しいんだとか、それでもみんなに幸せになって欲しいと祈ってるんだとか、そんなの誰にも話したことはない。心療内科に通ってるんだとか、死にたいと思ってるんだとか、みんな死んじゃえばいいのにと思ってるんだとか、自分に生きてる価値なんてないんだとか、口にしてみたことはない。パパやママだって本当のわたしを知らない。
本当のわたしを見て、本当のわたしを助けて欲しいと思っている。でもどうやってそれを伝えたらいいのか分かんない。ずっと嘘をついていたから、本当のことってどうやって話したらいいのか分かんない。それに本当のわたしを見せようと思ったって、そこにはただの穴しかないかもしれない。だってわたしにも、本当のわたしがどこにいるのか分からないから。明日この文章を読んだら、明日のわたしはこんなの本音じゃないって思うのかもしれない。
嘘ばっかりついていたら、本当のわたしを忘れてしまった。