I want love, just a different kind.
愛ってなんだ。
ためらわないことさ。
そう潔く言ってしまえたらいいのに。私には愛が何か分からない。
数年前までは、両親に愛されていると思う?と尋ねられればイエスと答えていたはずだ。衣食住は確保してくれたし、十分すぎるほどの教育を与えてくれたし、それなりに気にかけてくれる。だから愛されていると思っていた。
今はどうだろう。同じ質問をされたら、分からない、と答えるしかない。きっかけは自分と周りが違うような気がし始めたことだ。怒られるのが怖い。誰かが怒られているのが怖い。人に質問するのが怖い。近くに人がいるのが怖い。だから学校に行くのが、外に出るのが怖い。流石に普通じゃないと思った。どうしてこんなに怖がりなんだろう。そう考えて、幼い頃父に怒鳴られていたことを思い出した。
昔はそれが普通だと思っていた。「とひろちゃんのパパは厳しいね」と言われて、まあ普通よりはちょっと怖いのかもしれないけれど、教育や躾の範囲内なのだと思っていた。周りの大人もそんなふうに捉えていたように見えたからだ。けれどあまりに色んなことが怖くなって、おかしいなと思って、もしかしたら小さい時に怒鳴られていたことがトラウマになっているんじゃないかと思い始めた。
もしかしたら関係ないのかもしれない。私の思い込みなのかもしれない。ただ私の脳がおかしいだけなのかもしれない。しかし私にとって、あの頃の記憶は忌まわしいものになってしまった。そういえば怒鳴られたことが辛かった。死にたいと思うくらいには。そういえば理不尽に叱られることに怒りを感じていた。そしてそれを口にして余計に怒鳴られるのが怖くて、夜中にこっそり泣いたり枕を殴りつけたりしていた。
大学で不登校になって、母にどうしたのと心配されて、同じようなことを話した。その時はそうだったんだね、と聞いてくれた。だからお母さんはわかってくれた、良かったと思った。
しかしその後色々話しているうちに、「トラウマは誰にでもあるんだって知り合いのお医者さんが言ってたよ」「お母さんも仕事に行きたくないと思うことあるよ」「少し休んでやりたいことやったら」なんて言われて、私は傷ついてしまった。一見優しそうな言葉だけれど、私のこと何にも分かってないと思った。他の人のトラウマなんて関係ない。私が辛かったことを認めて欲しいだけなのに。学校に行けないのはそうだけれど、ベッドからも一歩も動けないのに。自分のことばっかり話さないでよ。やりたいことなんて、もう生きているのも嫌なのに。だからお母さんも私のこと全然分かってないんだと思った。
思い返せば小さい頃からそうだった。私が「お父さんと一緒にいるのが嫌だ」と言っても「仕方ないでしょ」で終わりだった。「お父さんを怒らせないで」と言われて、もう誰にも助けてもらえないんだと思った。だからたまに、辛いんだとなんとなくアピールしてみるけれど、はっきりと助けてくれとは一度も言わなかった。言わなかった私が悪いのかもしれない。けれどあの状況で、もう一度助けてもらえなかったとはっきり分かってしまったらもう立ち直れなかった。
だからお母さんのことも信じられない。助けてなんて言えない。助けを求めて助けてくれなかったらどうしよう?
お母さんは私を愛してくれていると思っていた。仕事で忙しいけどご飯も作ってくれて送り迎えもしてくれて、好きな勉強をたくさんさせてくれた。けれどそれは愛ゆえなのだろうか。私がバンドをやると言った時は「一緒にやる子のお母さんに不良みたいなことさせないでって言われるんじゃない?」なんて言われた。別に反対されなかったけれど、嫌味を言われているような気がした。学年一位の成績を取っても、「良かったじゃん。おじいちゃんに言ったらお小遣いもらえるよ」としか言われなかった。何だか思いみたいなのが感じられなかった。もしかしたら私のこと邪魔だと思っていたのかもしれない。よく分からない。こんなに色々してくれたんだから私のこと愛しているんだと思いたい。でも愛みたいなものを感じたと確信したことはない。状況証拠から、多分これが愛ってやつなのかなあって思っていただけだ。それとも私に愛を感じる能力がないのか。
お母さんに心の底から好きだよとか愛してるよとかありがとうとか言ったことがない。言いたいのは「生まれてきてごめんなさい」だけだ。でもそれも言ったことはない。きっとショックを受けるんじゃないかな、と思うから。でもお母さんが心の底から嬉しそうにしたり悲しそうにしたりしているところを見たことがないや。言ってみたらどうなるんだろう。でもそうする勇気はない。
お母さんには「生まれてきてくれて嬉しいよ」とか「今まで頑張ってきたんだね。偉かったね」とか「辛かったね。大変だったね」とか言って欲しい。一度も言われたことがないから。ただ私の存在を認めて欲しい。確かにやりたいことをやらせてくれて、たくさんお金も時間も使ってくれて、ありがたいと思う。でもただ私が大事な存在なんだよって言ってくれたらそれで良かったのにとも思う。私は私が望まれて生まれてきたのか分からない。もしかしたらいらない子なのかもしれない。ただいい成績を取って、いい大学に入ったから、まあ自慢できる子供として面倒を見てくれているだけなのかもしれない。もしかしたら子供を捨てるなんて出来ないから面倒を見てくれているだけなのかもしれない。いい親だと周りに思われたいだけなのかもしれない。そうだったらどうしよう?確かめるのは怖いから一生聞かないと思う。
父は怖くて、言いなりになるしかなかったからずっといい子を演じてきた。父がどういう環境で育ってどうしてあんな怒りっぽい性格になったのか知らないし同情なんてする気もないけれど、結果として私は父の感情のケア役になっていた。きっと父の中では自分はいい父親で、私を愛していると思っているのだろう。それはなんとなく分かる。けれど実際に私がもらったのは恐怖と不安と、人の顔色を窺う能力だけだ。多分満たされない何かを私を使って満たそうとしていたのだと思う。私は役に立ちましたか?正直に言って父のことはもうどうでもいい。忘れてしまえればそれでいい。もう思い出さなければ多分何かが怖いんだってことも忘れられると思う。不安とか恐怖とかも、薬を飲めばかなり減ったし、しょっちゅう怒鳴られたことはもうどうでもいい。
でもお母さんはどう思っているのか、それはとても気になってしまう。本当は私が欲しい愛が欲しかった。けれどその愛は今私の元にはない。お母さんがくれなかったのかな。私に受け取る能力がなかったのかな。
だから不安がかなり減った今、心に空いた穴が私を苦しめている。私は生まれるべきじゃなかったと思う。今すぐ消えてしまいたいと思う。みんなが見ている私は嘘の私だ。誰も私を助けてくれない。だからみんな死んでしまえばいいのに。人間なんていなくなってしまえ。みんな消えちゃえ。
何度も何度も同じことを考えて同じことを書いてしまう。noteには似たような文章ばかりが増えていく。お母さんは私のことを分かってくれなくて、私の心なんてどうでもいいと思っているのかなって、そんなことばかり考えている。お金や物さえあれば私は幸せだと思っているのかもしれない。
お母さんに本音を話したくない。少し前に「家があんなだったから結婚したくない。希望を感じられない」と言った時に本当に驚いたように「そうなの?一度くらい結婚してみてもいいじゃない」と言われて本当にショックだった。私が抱えていた苦しみがそんなにちっぽけな物だと思われていたなんて。私の心を分かってくれる人なんていないんだと思った。もう誰も信じたくない。もう誰にも本音を話したくない。
そういうのがショックだったあまり、世の中の「母親」をやっている人がみんな敵に見えてしまう。みんなみんな私を傷つけるお母さんと同類なんだ。鈍感で、優しいふりをして私を傷つける酷い奴らだ。だから関わるのも近くにいるのも存在を認識するのも嫌だ。リアルでもインターネットでも、子供がいるって知った途端壁を作ってしまう。だからお友達になんてなれない。本当はひとりひとり違っていい人もたくさんいて趣味が合う人だっているんだって頭では分かっているけれど、心が拒否してしまうのだ。そういう人にたくさんひどいことをしてしまった自覚はある。私は最低だ。
どうしたらいいんだろう。本当は今すぐ消えてしまいたい。カウンセリングに行ったり病院に行ってお薬をもらったら良くなるんだと思っていた。でも受け取ることのできなかった愛は、私の心に傷をつけて穴を開けてしまった。それはカウンセリングでも薬でも埋まらないような気がする。不安は減ったけれど、誰が穴を塞いでくれるっていうんだろう。誰が愛をくれるっていうんだろう。きっと自分がそうしますよって近づいてくる人は、優しいふりをした悪魔しかいない。だからみんな敵だ。もう助かる術なんてどこにもない。
ただ愛が欲しかっただけなのに。私はどこで間違えてしまったんだろう。こうしてよって言えば良かった?でも怒られるだけだったよ。助けてよって言ったら良かった?でもその助けは私を傷つけるだけだったよ。私が悪かったのかな?私に愛を受け取る能力がないから、愛を感じる器官が欠如しているから、だから私は空っぽなのかな?
いい子なんてやらなければ良かった。いい子なんて大人に都合のいい子でしかなかった。いい子をしていていいことなんてひとつもなかった。でもいい子を辞める方法なんて知らない。
誰か私を助けてよ。でも助けられないんでしょ。知ってるよ。だからみんな大嫌い。人間なんて滅んでしまえ。みんないなくなっちゃえ。
私がいなくなれば、みんながいなくなるのと同じだ。だから消えてしまいたいな。明日なんて来なければいいのにね。