日記 小さな痛みと気づいたこと
昨日のnoteに反応がついて嬉しかったな。読んでくださった方々、ありがとうございました。特にお子さんがいらっしゃるのかな?という方も読んでくださったみたいで、ちょっとでも何かが良くなっていったら嬉しいです。もちろん、私にそんな力なんてないのは分かっているけれど。(もし何かが良くなったら、それは考えて行動した方の力です)
そして久しぶりに自分のTwitterにもnoteを投稿しました。ぶっちゃけ、フォロワーさんに読んで欲しいなと思っていたから。予想通り反応は無かったけれど。見逃したのか、興味がなかったのか、関係ないと思ったのか、私の文章が読みにくかったのか、時間や心に余裕がなかったのか、そのどれでもないのか。反応がなければ何も分かりませんね。でもそんなものだ、よく知らないフォロワーの小娘が書いた文章のために時間を割く人はあんまりいないでしょう。Twitterでは自分の過去についてはっきり話したこともないので、私はちょっとだけ、マルトリートメント(あるいは、虐待、かもしれない)の当事者であることも知らないだろうし。
一年くらい前は、noteではなくTwitterに心理的虐待についてたまに書いていて、それに反応がなくて落ち込んだり、親を擁護するようなリプを貰って傷ついたりしていました。それで当時のアカウントは消してしまったのだけれど、今回はそこまで落ち込んではないです。あー、やっぱりそうだよね、という感じ。
そのかわり、自分の母親が色々と勉強してくれているのが凄いことなんだなと気づきました。自分がしてしまった、取り返しのつかない大きな失敗なんて、直視する方が難しく苦しいと思います。それなのに母は逃げずに勉強してくれている。この分野は日本では研究も臨床も行政も遅れていると思うけれど、それでも個人的に良いなと思った本や記事があります。それを読んでくれ、と言ったら母は必ず読んでくれます。そしてこういうことだって分かってよかった、と言ってくれます。本当は苦しい部分もあると思うけれど、そこから逃げないのは凄いなと思う。
今私を心配してしょっちゅうLINEしたり面倒を見にきてくれるのも、母は自分のわがままだと分かってくれています。煩わしいだろうけど心配だから、申し訳ないけど付き合ってくれ、と言われたので、じゃあ分かったと受け入れています。
どうして助けてくれなかったの、と母に怒っているつもりだったけれど、今の母の姿を見ていると、失敗してもあとからやり直すことって出来るんだなと思えました。
母に怒っている、と思っていた理由は先に書いたTwitterの人たちが私の呟きを無視したり、自分の行動を省みずに何も学ばない姿を見て苛立っていたので、きっと自分の母親を許せていないからこうして知らない人にイライラするんだなと考えていたからです。でもそうではなくて、純粋にせっかく愛する自分の子どもの為に学んだり行動を変えたりしない人そのものにただ苛立っているのかもしれません。私みたいな子どもが、少しでも減って欲しいと願っているから。今、マルトリートメントや、虐待について、それらが成人後に与える影響について学んだら防げる悲劇だってあるかもしれないのに。もちろん、後からだって反省とやり直しは出来なくもないけれど、やっぱり防げるならそうするに越したことはない。私だって今も苦しくて、あのとき助けてくれていたら病気にならずに済んだのになあと思うので。
とはいえ、今は躍起になってインターネットで情報を広めようとする段階ではないのは分かっています。私自身まだまだ勉強中で、実際の現場を見たことはなくて、研究も始めたばかりだから。でもTwitterって、簡単に呟けちゃうからこの本読んでよ!とか精神科医の方や心理士の方の呟きをRTしてほらほら見て!ってやりたくなってしまいます。でも正しい情報かどうか判断し、そしてその情報を必要としている相手に適切に伝えることそのものが専門的な技術を求められるものです。だから私にはやっぱりまだ早い。
それが悔しくて、焦る気持ちもとてもあるけれど、まずは自分を救うことからだよ、と言い聞かせてゆっくりやっていこうと思います。その間、何も学ぼうとしない行動も変えない親に苛立つのは、まあ仕方ないというか、今後頑張るエネルギーに変換できたらいいのかな。
今回チラッとTwitterに自分の意見を載せてみて、その結果反応が無かったのは私の力不足もあるし、そしてそれ以上に私のお母さんが凄いんだって気づくことができたので、良かったのかなと思っています。
ほんの少し、お母さんが私のお母さんで良かったって思えるようになったよ。