となりの偏見

 やっぱり、自分にとって迷惑なひとって、いない方がいいなって思っちゃうよね。

 例えば怒鳴り散らしたり、指示を聞けなかったり、たくさん失敗したり。だからそんなひとは出来るだけ近くにいないで欲しいと思ってしまうよね。

 だから入試でも就職でも面接があって、やばそうなひとは落とされる。今や適性検査なんかもやってしまえる時代だし、いろんな障害や病気についての知識は広まっていて、だからこそ「そんなひと」を排除したいと思うし、実際そうできる。

 僕は「そんなひと」だろうか?たぶんみんなからは真面目、頑張り屋さん、優秀、そんな印象を持たれているだろう。そう言われたから。でも時にLINEやメールの返事が遅かったり、たぶん空気が読めていなかったりする。本当はメンヘラってやつで、みんなには「そんなひと」であることを隠して生きてきる、と思う。

 障害や病気や、そのほか自分のせいじゃないことで「そんなひと」になったひとたちは、いったいどうすればいいのだろう。いや、仮に自分のせいだったとしても、それを全部引き受けろってのも乱暴だと思う。だいいち全部自分のせいってことはないだろうし。
 意外と多くのひとが無邪気に「ヤバい」「頭おかしい」「迷惑」「キモい」なんて言葉を誰かに対して向ける。直接、ってことは少ないだろうけれど。でもそんな空気はじわりと伝わってくる。冷気が窓の隙間から入り込んでくるように。

 僕は精神疾患があるから、「そんなひと」に向けられた言葉は自分に言われたようにも感じてしまう。いや、これこそ精神的な疾患や障害への偏見?
 でも僕は、迷惑なひと、無能なひと、邪魔なひと、と言われるようなひとたちも、そうなりたくてなってるんじゃないのかなと思っている。どうにかそのひとが困っていることや苦手なことが減ったら良いなと思っている。そうしたら周りのひとも「そんなひと」扱いしないと思う。

 こんなのお花畑かな?でも少なくとも、誰に対しても、「あの人ヤバいよね」とか「こんな属性のひとはこうだよね」とか口にするのはやめておこうと思う、出来るだけ。きっと無意識に言っちゃったり誰かに同調したりしちゃうこともあると思うけれど。

 とりあえず、言いたいことは、誰も傷つきたくないんだよね、ということだ、たぶん。迷惑かけられたくない。面倒ごとを押し付けられたくない。無視されたくない。悪口言われたくない。でもそれらは時にぶつかりあって譲り合えなくなっちゃう。

 どうしようね。どうしようもなさそうだ。いつも、にんげんなんていなくなっちゃえば良いのになあって思うのは、それがひとつの原因だ。

 最後に、ちょっとだけ救われた話をすると、僕には色んな配慮が与えられることになったのだけれど、そのときにあるひとが「この方は真面目だからというお話があったけれども、真面目でないひとにも配慮を受ける権利があることを覚えておいて欲しい」と言ってくれた。僕にとって、配慮してもらえたことはもちろん嬉しかったしありがたかったけれど、その言葉にいちばん救われた。なんだか、僕の「真面目でいなきゃ、優秀でいなきゃ、病気じゃないふりしなきゃ」という思い込みが和らいだ気がしたから。そういうことを言ってくれるひともいるんだって知れたから。

 だから世界は、にんげんは、実は悪いことばっかりじゃないかもよ。

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