愛はすれ違う、無知は罪か?

 ここに書いたことを全部ではないけれどママに話してみたので、そのとき思ったことを。


 とりあえず、ママは別にわたしのことが嫌いとか邪魔と思っている訳ではないんだな、ということは分かった。そう言ってくれて、嘘は言っていないように思えたから。その上で「こんなに辛いと思っているとは気づかなかった。お父さんとも仲良くやっているように思えた」というのも本当なんだろうなと思った。

 わたしを大事に思っているらしいし、小さい時はそれを言っていたらしいけれど、わたしはちっとも覚えてない。たぶんお父さんに怒られても庇ってもらえなかったから、そんな言葉は響かなかったんだろうと思う。それに怖い、という感情が先行して自分を守ることに精一杯で、与えられる好意だとか愛だとかに気がつかなかったのかもしれない。

 わたしは怒られるのが嫌でお父さんの機嫌を取るために必死に媚を売っていて、周りの大人にはそれがお父さんと仲良しな娘、というふうに見えていたのだと思う。仕方ないと感じる反面、子どもは自分を守るためにそういう行動をしがちだってことを知っていてくれたら少しは違ったのかなあって思う。だってただ仲良しなだけなら、わがままを言ったり文句を言ったりするでしょ、子どもだから。でもわたしはわがままなんてほとんど言わなかった。

 怒鳴り声が響く家で、自分や大切なママを守るために子どもながらに色々考えて行動してきた。出来るだけお父さんの機嫌を損ねず、ママの負担が増えないようにお手伝いしたり少しくらい辛いことがあっても黙っていた。でもママは子どもがそこまで考えているなんて思わなかったんだって。わたしは少し賢い子どもだったから、ママも騙せてしまったらしい。でもすごく賢い訳じゃなかったから、ママはもしかしたらわたしを侮っているかもってことには気がつかなかった。だからわたしのさりげない「助けて」っていうアピールはどこにも届かなかった。もっと賢い子どもに、あるいはもっと馬鹿な子どもに生まれたかったな。

 ママは深く物事を考えたりしないタイプだ。ついでに忘れっぽい。だからわたしが大事な話をしても聞いていなかったり忘れていたりする。別にわたしを愛していないとか嫌いとかではなくて、そういう性格なんだって分かるけれど、さすがに傷つく。でも同時に、悪意があったわけじゃないんだし、とも思う。

 そう考えるとお父さんにだってたぶん悪意はなかったと思う。ただ自分の機嫌が悪いから怒鳴って、それがどれだけ子どもを傷つけているかに思い至らなかっただけ。ただそれだけ。もしかしたら「自分は正しい」っていう思いが強い人だから、指摘したって認めないかもしれないけれど、それも純粋な悪意か?と言われるとそうでない気がする。

 子どもは家庭に、養育者に、安心と安全を求めている。その後の人生を生きていくために。だから親はそれを与えなければならないけれど、その方法も、もしかしたら安心や安全を与えなければならないということ自体も、あまり知られていないんじゃないかと思う。

 わたしのパパやママがそうだったように、愛があったとしても知識がなかったり、考えが足りなかったり、そんな理由で子どもを傷つけてしまうことはあるのだと思う。虐待のつもりじゃなくても。そしてそれは悪として断罪出来るものなのだろうか?

 「無知は罪」という言葉があるけれど、それはどこまでの無知に適用されるのだろうか。現代では日々情報も知識も増えていって、普通の人間には手に負えないくらいになっている。その中から必要で正しい知識を手に入れるなんてほとんど不可能だ。けれど無知のせいで傷つく人は必ずいる。わたしだって誰かを傷つけている。そう思うと「無知は罪だ」と言い切って断罪する気になれない。

 しかし同時に、わたしの中には怒りがある。SNSやマスメディアや現実の人間関係の中で、ママみたいに子どもがどう感じているのか考慮しない人や子どもに必要な心のケアについて知らない人を見るとどうしても憎いと思ってしまう。ママに対しては仕方なかったよねって言っているけれど、心の奥では全然許せていないみたい。だから関係ない人たちに怒りと憎しみを抱いているのだ。だからSNSで知り合っただけの母親をやっている人たちに怒って嫌いになってブロックしているのだ。

 わたしは恐怖と不安に支配されていたせいでママの愛を受け取れなかった。それはママを傷つけていると思う。ママは考えが至らなかったせいでわたしを傷つけた。

 いったい誰が悪いんだろう?誰も悪くないように思える。けれど強い怒りを抱いてもいる。自分でも上手く表に出せない怒りを。

 どうしたらいいのか分からなくて、この感情に振り回されて、疲れ果ててしまって、もう全部どうでもいいから消えてしまいたいなと思う。


 誰も悪くない「罪」が世界には溢れている。

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