自殺対策と安楽死と

 自殺者が減らない。そのことは社会問題にもなっていて、世間は自殺者を減らそうという目標を掲げている。

 そんな風潮もあってか、小レポートに自殺対策について意見を述べよという課題が出た。字数制限もあったし、正直先生の目が怖いのでやや自制気味な回答をした。それじゃあなんだかなと思ったので、ここで本当に書きたかったことを書こうと思う。

 そもそも「自殺は悪い」という考えは正しいのだろうか?命は自分のものだ。捨てるのも勝手だ、と思う。自殺にも様々な理由がある。健康上の問題や金銭的な問題を抱えている人、精神疾患がある人などもいるだろうし、おそらく生きているのが単に面倒になっただけという人もいるだろう。外野が自ら死を選ぶことを決めた人に対してとやかく言う権利があるのだろうか?

 特に医療や福祉の現場では、自殺防止というのは疑いようのない目標になっているように思える。自殺しなきゃそれでいい。統計上の数が減ればそれで良い。そんなふうに見えてしまうことがある。

 しかし、自殺を減らすことを諦めたら良いのかというと、それも違うと思う。先ほども書いたように、健康問題や金銭的な問題、その他の問題が解決されれば自殺しないという人はいると思う。そういう人を助けずに自殺しておけば良い、というのは人権侵害だと思う。人には生存権も幸福追求権もある。

 他に自殺を止める理由としては、死ねばとりあえず人生が終わり全ての選択肢が絶たれるけれども、生きていれば様々な可能性が残されるというものも考えられる。あとから考え直して、あの時死ななくて良かったと思うかもしれない。しかしそれはあくまでも可能性だ。あの時死ねば良かったと後悔しながら残りの人生を苦しんで生きるかもしれない。それに死んだ人がやっぱり死んで良かったということはない。

 実際的な問題としては、自殺によって自分も他の人も困るということが挙げられるだろう。自殺も100%成功するわけではない。後遺症が残りさらなる生きづらさを抱える可能性がある。飛び降りや電車への飛び込みは、他の人を巻き添えにしたり目撃者のトラウマとなる可能性がある。だから自殺をやめて欲しいと考える人もいるだろう。

 私自身は死にたいと思うことがよくある。一度は実行に移した。二度目をやっていないのは、成功する気がしないから、というのが大きい。

 そもそも死にたいという思いに至るまでに人はそれぞれ違う経験をしている。虐待からのトラウマ、いじめ、パワハラ、過酷な闘病、借金、厭世、その他数えきれないほどの理由があるだろう。統計に出ている数字はあくまでも他人が決めた分類に過ぎない。客観的ではあるけれど、客観的だからこそ、真の問題は誰にも分からない。

 個人的な気持ちでは、死にたいと思わずに済むならそれが一番良い。死にたいと泣きながら生きるのは辛いから。次に良いのは安楽死が出来ること。無理になればいつでも楽に死ねる。そう思えば、もう少し生きてみようかな、と思える。

 結局、他にも言っている人はたくさんいるけれど、安楽死の制度を整えることが自殺対策に繋がるのではないだろうか。安楽死を希望する人は行政のどこかの機関に申請しにいく。そうしたら精神科医をはじめとする医師やカウンセラーやソーシャルワーカー、弁護士など、色々な職業の人がそれぞれの専門的な立場からその人の抱える問題について考える。恐らくなんらかの解決方法は示されるだろうから、安楽死を希望する人はそれを聞いて一度考えてもらう。その解決方法でやってみようとなれば死ぬのを辞めればいいし、やっぱり死ぬ決意は変わらないとなれば、実際に安楽死をしたら良い。そのための薬は医師が用意する必要があるけれど、それを体内に入れるのは希望者自身にしてもらえば、本人がその責任を負える。

 個人的な話だけれど、今だって死にたいと相談すれば投薬治療にカウンセリングにと色んな人が助けてくれる。しかしそれは生きること、特に社会に出て労働することが前提になっていて、その為に頑張ろうと思えないことも多い。やっぱり死んだ方が早いと思う。けれど、望めば安楽死出来るなら、ダメ元で少しは頑張ろうかなとか、やりたいことをやってから死のうかなと思える。

 それに、自殺未遂による後遺症や、他人が巻き込まれる心配もなくなる。

 安楽死に反対する人は、例えば高齢者や障害者が、社会の空気に押されて本当は望んでいないのに安楽死を申し出てしまうという問題を指摘する。西洋的な考えでいえば、これは自己決定権というものをしっかり理解し、自分の考えを固めていればそれは起こらない。しかしここは日本なので、すぐにそうなるとは考えにくい。確かにみんなのために安楽死をしようと思う人は出てくるかもしれない。確実な解決策とは言えないが、安楽死を希望した際に相談に乗る様々な人の中で、誰かはそのような意思決定のプロセスに気がつくのではないかと思う。

 そして、最終的には「子や孫、他人に迷惑をかけてまで長生きしたくない。最後まで自立した状態で死にたい」という希望も受け入れるべきではないかと思う。私自身も、歳を取った時にそう思うような気がする。その前に死んでいるかもしれないけれど。

 自分の人生は自分で考えて決めることができる時代だ。結婚するかしないか、子どもを持つか持たないか、それも自由になった。なら死についても自分で決められて良いのではないだろうか。

 とにかく自殺者を減らせば良いという意図が透けて見えるような、あるいはしょうがないからやっているというような自殺防止の電話だとか自殺防止月間とか、そんなものを見てうんざりするよりは、色んな人が安楽死について議論しているほうが、よほど生きてみようかなと思える社会になるのではないか。

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