![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/82723840/rectangle_large_type_2_63ca54f12530cc4943fb2cf021263f8f.jpg?width=1200)
'90 スパ24時間レース vol.1
初めてのスパ・フランコルシャン
チームZEXELからGT-Rがスパ24時間レースに初参戦。日本人ドライバーの都平健二、木下隆之、福山英朗、服部尚貴。チーム総監督は日置和夫 が務めた。55号車がクラス2位。56号車がクラス3位を遂げ、GT-Rが1-2-3フィニッシュを飾った。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/82717945/picture_pc_78938bdd6b47eb88842a761299e5d4e6.png?width=1200)
ZEXELスカイライン56号車。
予選ドライバーを担当した都平はスパの名物コーナー「オールージュ」でスピン! この時の事をご本人にインタビューをしてみました。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/82721529/picture_pc_17c4a76d4f9e6d207de84a3dadaaaa8b.png?width=1200)
私:予選中にオールージュでスピンしましたよね。オールージュにアクセル全開で飛び込む映像が残っています。
都平:初めてのスパ。予選で初めてコースを走りました。オールージュは緩やかな下りカーブの次に、急な上り坂です。簡単そうに見えたので、アクセル全開で飛び込みました。
そしたら、スピンしちゃった。
私:クルッと一回転してコース上で止まっていますよね?
都平:そうなんだよ。スピンしたけど、車は無傷だったよ。 この時点で予選2位のタイムはでていた。 本当は予選1位を狙っていたけれどね。
私:予選1位は現地チームのヤンスピードでしたね。
都平:本当は、僕たちが予選1位を狙えたよ。 でも、僕が予選アタック中にスピンしたでしょう?僕の走り方を見た、監督の日置さんが「これ以上、アタックしないで。予選2位で十分な走りだ。」と言うから。予選2位となりました。
私:ありがとうございました。〝続く〟
木下隆之さんがNOTEでブログを更新しているのを真似して、都平さんの昔話をUPしてみます。これからよろしくお願い致します。
下記のYouTubeで都平さんのトークがご覧いただけます。
都平健二の遍歴
茨城県水戸市出身のレーシングドライバー。モトクロスの名門『城北ライダース』に所属。その後、大森ワークスと契約し、1969年には、R382で日本グランプリを出走。高橋国光と組み日産のエースナンバーであるNo.23を走らせた。1970年代はスカイライン2000 GT-R・フェアレディ240Zで参戦。ハコスカ50勝目を記録した富士300kmスピードレースでは豪雨の中で驚異的な速さで快走するも、リタイアに終わる伝説を残した。都平はスカイライン2000 GT-Rで4勝を挙げている。フェアレディ240Zで日本グランプリを二連覇し、鈴鹿1000kmでは高橋国光と優勝。1980年代のマイナーツーリングではサニーで通算21勝をはたし、JSSでは通算16勝を挙げ、4度のシリーズチャンピオンに輝いた。1990年代はスパ24時間でクラス3位を果たす。N1耐久では4勝を挙げ、1994年に念願のシリーズチャンピオンを獲得。 そんな都平の名言のひとつが「コーナーは真っ直ぐ走る ブレーキは踏まない」
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/82722131/picture_pc_967ec95c5827b754a601e59831aef3b5.png?width=1200)