怪異を訪ねる【菅原別館】その二
菅原別館に宿泊予約の電話を入れて、部屋を確保できてから一年後。いよいよ二〇二〇年十一月二十七日の朝がやってきた。この一年、無事に過ごせるのか不安だったが、何とかこの日を迎えたのだ。高揚とともに目覚め、身支度をして東京駅へ向かう。道中から心は踊る。
午前八時前。東京駅に到着。年の瀬が近付く「コロナ元年」は、未だにコロナウイルス収束の気配はない。風邪や感染症が流行ると予測される冬に差し掛かっていても、日々の生活を止めることはできない。そんな人々の不安と葛藤を、朝の東京駅は私に見せつけた。
駅のホームに盛岡駅行きの新幹線が入ってくる。やがて、目の前で開いた車両の扉は、不思議な世界への誘いを意味するようだった。たった独りで、騒ぐことなく粛々と車両に足を踏み入れる。こうしてまた、八か月ぶりに東北へ怪異を訪ねる旅が始まった。
前回の検証は岩手県二戸市にある「緑風荘」で試みた。東北新幹線に乗車するのはその道中以来である。前回同様、東京駅で購入したおにぎりを、座席で食べて腹ごしらえをしながら、無料配布されている観光用の冊子を手に取り目を通す。こんな仕草がルーティーンとなりつつある。
東京駅を出てしばらくすると、高層ビルが疎らになり、山々の清らかな景色が車窓の大半を占めてくる。今、向かっているんだなあと感じずにはいられないこの眺めが私は好きだ。
今回の目的地である菅原別館は、十七時にチェックインの予定である。それまでの時間をどのように過ごすのかを考えた結果、先に平泉へ向かい中尊寺や毛越寺を見学することにした。オカルトや怪異探訪から離れて、まずは歴史を踏みしめてみることにした。
一ノ関駅での東北本線への乗り換えを経て、十時半。平泉駅に降り立つ。駅が改装中であることはまったく知らなかったので、駅全体の外観を見学できなかったのは残念だが、またいつか綺麗に整備されて、新しい姿を人々に見せてくれるのかと思えば、また訪れる口実になるかと妙に納得できた。中尊寺へは駅から散策を兼ねて徒歩で向かう。
観光地を過剰にアピールしているとは思えない、程々に整備が行き届いた道路の歩道は、自然に囲まれている。気持ち良く歩いていると、凡そ二十分で中尊寺に辿り着いた。
ようやく観光地らしい雰囲気が表れたその近くには、郵便局や売店がある。参道は登り坂になっており、足腰の弱い方には辛いかもしれない。気力と体力のあるうちに来れて良かったものだ。月見坂と呼ばれる一本道を進むと、やがて本堂に着いた。案内板によると、ここまで五六〇メートル。身を正して参拝した。
敷地内には他にいくつかの御堂があり割愛させて頂くが、弁慶堂や不動堂からさらに進むと、いよいよ世界遺産で有名な金色堂を包んだ覆堂が姿を見せる。ここまで八〇〇メートル。テレビや雑誌で見たことのある外観が目の前にあることに喜びを隠せない。拝観料を払いチケットを購入して中に入った。
建設の趣旨としては、藤原氏初代の清衡によって堂塔の造営が行われ、戦乱(前九年・後三年合戦)で亡くなった者の慰霊の為に、仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を創造するということであった。極楽浄土を具体的に表現しようとした清衡の切実な願いによって、とりわけ意匠が凝らされた御堂が、鮮やかな金箔が目を奪う金色堂である(中尊寺について │ 中尊寺を知る │ 関山 中尊寺[岩手県平泉 天台宗東北大本山] (chusonji.or.jp)より一部引用)。
室内は撮影禁止なので写真は一切手元にない。しかし、眼前に広がる御堂を一言で振り返り表現するならば、まさに、その名に相応しい煌びやかな金色堂であり、これほどまでに保存できるものか恐れ入ったというところだ。言葉少なめに述べておくが、是非、見学して頂きたい。
続いて、毛越寺へ向かう。平泉駅からは西側に位置する。中尊寺からは徒歩でおよそ三十分はかかると見込んでおいた方が良いだろう。私は夕方に盛岡へ向かうまで時間に余裕があったので、のんびりと散策できたのだが、「中尊寺や駅周辺の商店が活気付いていない」「循環バスの利便性が低い」など、Google Mapの口コミにはそのような意見も散見されるので、よく計画を立ててから行かれることをお勧めする。
薬師如来の化身とされる白髪の老人のお告げにより、慈覚大師がこの地に開山され、藤原基衡の頃から伽藍の造営が隆盛を極めるようになり、寺院だけでなく整備された浄土庭園が美しい。辺り一帯は金色堂とも纏めて世界遺産に登録されている。
これほどまでに水際が果てしなく、空気が澄んだ庭園があるだろうか。マスクを強いられる生活に慣れてしまったからこそ、少し大きめの呼吸から風土を感じる喜びは一入であった。
毛越寺一帯は中尊寺のような急勾配もなく、散歩がし易い。建造物もそれほど多くないこちらでの滞在時間は四十分ほどで、最後に売店で抹茶を戴いてホッと一息ついた。さて、盛岡へ向かう前の腹ごしらえとして、少し遅めの昼食を摂りに駅へ戻る。
岩手県と言えば、盛岡冷麺やわんこそばが名物だ。わんこそばを大量に掻き込むような気分でもない私は、駅前の食事処「芭蕉館」に入り、温かい天麩羅蕎麦を注文した。サクッとした天麩羅に、硬すぎない蕎麦、主役でもあり又それぞれを引き立てる出汁、全てが午前中の締めに相応しかった。
そうこうしているうちに、時刻は十五時前。平泉を後にして、いよいよ、想い出の地、盛岡へ向かうことにしよう。世界遺産登録されてまだ十年ほどであるこの地は、駅の改築が物語るように今後ますます改良を重ねて、注目を浴びることだろう。次にいつ来れるかはわからない。そのときまでこの景色が続いてほしいと思い、別れを告げた。
(続く)