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LanLanRu漫画紀行|かたっぽのふるぐつ

萩尾 望都 著

舞台:20世紀 /  日本

萩尾望都氏が1971年に発表した短編漫画に『かたっぽのふるぐつ』というのがある。
四日市ぜんそくの話で、当時の萩尾望都氏には珍しく社会問題を正面から扱っている。この短編、あまり知られていないように思うが、公害について考えるにはうってつけの作品だ。

石油コンビナートの町にくらす子供たち

ぼくたちのY市は
石油コンビナートの町だ
えんとつと茶色の工場と
銀色のタンクのむれ

ぼくたちの家も学校も
商店も畑も みんな
スモッグとガスの中にある

『萩尾望都作品集2 かたっぽのふるぐつ』p52

『かたっぽのふるぐつ』はこんな具合にはじまっている。石油コンビナートの町で暮らす、小学生の話である。
もうすぐ5年生も終わりというので、5年B組ではさよなら会に出す出し物「ふるぐつホテル」という劇の練習がはじめられている。ふるぐつを演じるのは、仲良しコンビの吉田志朗(シロウ)と渡辺悠(ユウ)。順調に準備は進んでいるようだが、学校の窓の外には、大きな石油コンビナートの姿。
彼らにとっては見慣れた風景なのかもしれない。そして公害も日常のようだ。スモッグは教室にまで流れ込んでくるし、先生は公害に負けぬ体を作るため、と生徒たちにうがいや乾布摩擦をするようにすすめる。

こんな環境だから、小学生といえども、公害について考えざるを得ない。
社会科の時間、公害について討論をするシーンがあった。
「公害はよくない」
「トタン屋根がボロボロになる」
「目がいたくなる」
「すぐカゼをひく」
「ひどいにおいで頭がいたくなる」
「でも、工場につとめている人もたくさんいる。石油は生活に欠かせない。」

そうなのだ。主人公の子ども達の親は、公害の原因である工場に勤めている。だから、体に悪いとわかっていても、石油コンビナートの存在を簡単に非難することはできないのだった。

いくら公害がいけないったって・・・・・・
ぼくの父さん
石油コンビナートにつとめている
ぼくは父さんに育てられている
・・・・・・ぼくだって公害の一部になってる

『萩尾望都作品集2 かたっぽのふるぐつ』p64

考え続ける主人公のシロウに「公害は必要悪」と言い切る友達もいた。
でもその公害が原因で、シロウの親友は亡くなってしまうのだ。
人類の発展や幸福を追求するために作られたはずのコンビナートの町に、どうして彼の明日はなかったのだろうと、どうしようもない現実の前に、答えのないまま話は終わるのだった。

さいごに

どうして萩尾 望都氏がこのような作品を描いたのか、ずっと不思議だった。彼女の代表作といったら、『ポーの一族』や『11人いる!』。たしかにサスペンス、SF、ファンタジー、コメディー、幅広いジャンルで名作漫画を生み出してきた漫画家ではあるけれど、社会問題をリアルに取り扱っているようなイメージはあまりない。初期の短編集の中でもこれ一つ、異様な存在感を放っていたものだった。
この作品にひとつヒントがあるとすれば、作者の故郷、福岡県の大牟田市にあるのかもしれない。大牟田市は、かつて日本一の出炭量を誇った三池炭鉱の発展とともに「炭鉱のまち」として栄えた場所だった。作者の父親も石炭鉱山の関連会社につとめていたという。この大牟田市にも、市内に大規模な石炭化学コンビナートがつくられ、大気汚染や水質汚染など公害に悩んだ時代があったというので、もしかしたら、作者自身の想いや問題意識もあったのかもしれない。

ただ、さすがストーリーテラーの萩尾望都氏。この作品、公害問題に正面から取り組んではいるが、教科書的な硬さも嫌味もほとんどなくて、友を失った男の子の悲しみが心に残る物語になっている。そもそも劇中劇が「ふるぐつホテル」なのが心憎い。左右対になっているふるぐつを演じるのが、シロウとその親友のユウで、ユウの死によって「かたっぽのふるぐつ」になってしまった、残されたもう片方のふるぐつの哀愁といったら。
それに、この頃の萩尾望都氏は本当に、絵の表現がものすごく上手いのだ。漫画だけどまるで映画や舞台を見ているよう。自由自在なカメラワークのようなコマの切り替え、絵の緩急によって生まれるリズム。しかもコマの一つ一つの画も、しっかりグラフィカルに構図がとられていて、なおかつ情緒的で見飽きない・・・と、このあたりのことは、いくら言葉を尽くしても言い足りないのだが、とにかく『かたっぽのふるぐつ』でもその筆の力がストーリーを惹き立てていて、印象深く忘れがたい短編作品となっているのだった。

『かたっぽのふるぐつ』 関連作品

・『ソラノイト~少女をおそった灰色の空~』(矢田恵梨子著)
・『ブラックジャック』「第67話 ふたりのピノコ(緑柱石)」
(手塚治虫 著)


補足

■ 石油コンビナートとは
石油は身の回りの様々なものに使用されている。ガソリン、灯油、軽油、重油、アスファルトなどなど。プラスチックの原料だって石油製品だし、もちろんガソリンがなければ、車や電車も走らない。
ところが、私たちの暮らしている日本では、石油のほとんどを海外から輸入している。海外の油田から、タンカーで運ばれてくるのだが、この原油を効率的に使うために作られたのが、石油コンビナートだ。
石油精製工場、ナフサ分解工場、石油化学誘導品工場、関連産業工場など、パイプラインでつながれた石油化学関連工場が連携しながら、石油製品を作り上げていくのであるが、多くの企業が集まり、相互に連携することで効率的に、合理的に石油を活用することができるので、このような形が取られている。
日本には、9ヵ所におよそ15の石油化学コンビナートがあるというが、いずれも石油を運ぶタンカーが利用しやすいように、太平洋岸や瀬戸内海沿岸の埋め立て地に作られている。有名なものには四日市コンビナート、水島コンビナート、川崎臨海部コンビナートなど、いずれも日本の高度成長期を支えた主役であった。

■ 四日市コンビナートについて
四日市市は三重県にある。このあたりの愛知・岐阜・三重はものづくりの盛んな土地柄で、日本の「三大工業地帯」の一つ「中京工業地帯」と呼ばれるエリアなのだが、その三重県の製造業を支えているのが、四日市コンビナートだ。
四日市コンビナートは昭和30年代に海軍燃料基地跡に建設されて、現在に至るまで3つの大規模なコンビナートを形成している。三菱ケミカル、コスモ石油、東ソーなど、大企業の主力となる工場も連なっていて、多くの工場がそびえ立つ四日市市は、国内有数の石油化学工業都市として発展をしてきたのだった。
日本で初めて大規模に形成された石油化学コンビナートということもあり、四日市コンビナートは建設当初、経済復興のシンボルとして、期待を集める存在だったようだ。しかしその一方で、やがて大気汚染や水質汚濁などの公害問題が深刻化してきてしまう。特に問題となったのが、工場から排出される亜硫酸ガスなどが原因である「四日市ぜん息」だった。症状の辛さから自殺する人も出たりと、被害は深刻だったが、この病気の患者が工場相手に起こした裁判がきっかけで公害対策に関する法律が制定されたりと、その後の日本の環境・公害政策に大きな影響を与えることになったのだった。

現在は四日市市でも、低硫黄燃料への転換や、排煙脱硫装置の開発など、環境に配慮した取り組みが行われているらしい。四日市地域全体の硫黄酸化物の排出許容総量を規制して、工場ごとの排出総量を個別に規制する「総量規制」も行われており、1976年以降は国の環境基準を市内全域でクリアしている状態が続いている。
また近頃の四日市は工場夜景でも有名だ。夜になると大型プラントや煙突がライトアップされるのだが、その光景がまるでSFさながらと、工場夜景の聖地としても有名となっているということである。



〈参考文献〉
・JPCA 石油化学工業協会ホームページ 石油化学製品はこうしてつくる
   https://www.jpca.or.jp/studies/junior/howto.html

・四日市公害と環境未来館公式サイト
   https://www.city.omuta.lg.jp/kiji003859/5_859_11272_up_CHNVQ7L3.pdf

・四日市市役所 未来に豊かな環境を
  https://www.city.yokkaichi.lg.jp/www/contents/1001000000047/simple/07jou
  juntokusyu2.pdf

・大牟田市 環境たんけんの旅
https://www.city.omuta.lg.jp/kiji003859/5_859_30635_up_80TCXH8I.pdf

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