エーリヒ・ケストナー著
舞台:1945年 / ドイツ
『飛ぶ教室』や『エーミールと探偵たち』で知られるケストナーの終戦日記。1945年の2月-7月にかけて、ケストナー本人が見聞きしたことのメモをまとめたもの。
たった半年の記録だが、ドイツ国民にとっては激動の数か月だった。この間にナチスの第三帝国は崩壊。無条件降伏をしたので、ドイツは四つの地域に分割されて、連合軍の管理下に置かれるようになった。
ケストナーの終戦日記は、第三帝国末期から終戦直後にかけての時代の狂気を皮肉たっぷり、ユーモアたっぷりに描き出している。
『終戦日記一九四五』より、抜粋
ケストナーは、一人のドイツ市民として、また反ナチの作家の立場から、1945年を記録した。気になった部分を抜き出してみよう。
終戦の日にケストナーが目撃したこと。
灯火管制の即時解除。「何年も目にしなかった家の明かりは数百万のクリスマスツリーよりも美しく思われた。」オーストリアに戻ったチロルで、一晩のうちに取り替えられた旗。「ヒトラーの旗から鉤十字の部分を切り取り、白いシーツを断ち切って、農婦たちはミシンで赤と白の布をきれいに縫い合わせていた。」ヒトラーの肖像画が取り外されて、色濃い四角形が残った壁。「ヒトラーの肖像写真がどれだけ大きかったかわかるというもの。」鏡の前に立ち、総統ひげを鼻の下から削ぎ落とす男たち。兵士たちは軍服をリフォームするので、仕立て屋の女将は大忙しだった。
戦勝国に対するいらだちも見える。
第三帝国崩壊後の空白期間があったこともわかる。
そしてこの本の最後の言葉。
「一九四五年を銘記せよ。」
ケストナーについて
戦争中、ケストナーはナチス政権下のドイツで「好ましからざる作家」として、執筆を禁じられ、著作は焚書の憂き目にあっていた。この時期、多くの知人が亡命していったが、ケストナーはあえてドイツにとどまり、時代の末路を見届けることを選んだ。日記を書いていた大戦末期は、崩壊寸前のベルリンにいたが、映画会社の撮影班を隠れ蓑にしてチロルのマイヤーホーフェンに疎開し、戦後は復興の兆しが見えはじめたミュンヘンへと移住して、終生をそこで過ごした。
関連作品
■ケストナーについて書かれた著作
・『ケストナー : ナチスに抵抗し続けた作家』(クラウス・コルドン作)
■ドイツの終戦の様子を描いた作品
・『ベルリン1945 はじめての春』(クラウス・コルドン作)
・「ヒトラー 最期の12日間」(ドイツ映画,2004年)