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愛犬の死を経験した2024年

2024年がそろそろ終わる。
良いこともそれなりにあったけど、今年はこれまでの人生で一番悲しい春を過ごした年でした。

タイトルにも書きましたが、我が子同然のように育てていた愛犬を突然亡くしました。まだ6歳の若い、可愛い可愛い黒柴の犬でした。理由は持病のてんかん発作。生後間も無くてんかん持ちだと判った愛犬でしたが年に数回の発作と付き合い続けてこれまで元気に育っていました。

我が子より1歳年上の愛犬は息子と兄弟のように育ちました
戌年に生まれた息子の側でいつもお守り

4月上旬、深夜1時過ぎ。
家族みんなで寝ていた愛犬がカタカタと震え始め、私も夫も「あ、始まったな」と起き上がり見守りました。いつものように数分耐えれば収まるであろう、と踏んでいた私たちでしたがこの日は様子が異なり、中々発作が収まりません。一時的に止まり、「やっと終わった」と様子を見ていると再び繰り返すという重積発作がこの時は起きてしまいました。発作の時間は40分以上。非常に長く、その間泡を吹き、涙を溜めながら私たちを見つめる愛犬。何も出来ない私たちは声掛けをするしかなく、そのまま愛犬は意識を失い永眠しました。

あまりのショックで信じたくない出来事でした。
中々その事実を受け入れられない私たちは葬儀を延期したり、愛犬の遺体を手離すことができずにいました。4月上旬。徐々に気温も上がり動物の死後は腐敗が速いと聞いていました。

愛犬は生まれつき毛並みがベルベットのように美しく、たぬき顔のとっても可愛い自慢の子でした。性格も穏やかで殆ど吠えない、いたずらも粗相も全くなく、正直お利口すぎる所がありました。

子供1人と犬1匹 我が家にとっては絶妙なバランスでした

直前までしっかり食事を摂っていたにもかかわらず、死後、約1週間経っても体液や糞尿などが流れることなく、異臭も初日以降はほぼ発さず、火葬の日まで不思議とずっと美しく、綺麗な状態でいました。私たちの手を煩わせることなく、なので私たちもお別れするまでは、何度も触って撫でたり、抱きしめたりを繰り返していました。

とあるアニマルコミュニケーターの方に言われました。

「弛緩して体内のものが流れたり腐敗が進むのが普通なのにこの状態は本当に珍しい」

「もしかして、いつも『可愛いね、良い子だね』って声掛けしていませんでした?」

(私)「はい、いつも可愛い可愛い、良い子良い子、と伝えていました」

「…最後まで家族の前では可愛い、良い子のままでいたかったから頑張ったみたい」

こういう話、100%信じるタイプではないのですが、この時期はとにかくそういう思想や解釈にすがりたくて信じていました。虹の橋の話、映画「僕のワンダフル・ライフ」なども心の拠り所にしていました。生まれ変わってもう一度この子と会えるのであれば、、という気持ちで日常を立て直していた様に思います。

最期のお見送り

サッカー好きの愛犬 名キーパーでした

半年以上経った今ですが、愛犬のことを考えると涙が出てくるし、ぽっかり欠けてしまった心のピースはずっと埋まらないし、次にもし別のワンちゃんを迎え入れたとしてもこの穴が埋まるとも思いません。

広い公園でワンちゃんと飼い主が一緒に遊んでいる様子を見ると涙が止まりません。

まだまだ一緒に過ごしていくつもりで先の未来を楽しみにしていたし、共に年を重ね、気づけば歳を先に越され、年老いた姿も見るつもりでいました。

ペットロス状態とはずっと無くならないのかも、とも思います。
会いたくてももう2度と会えない。
この事実は受け入れ難く、きっと大切な存在を失った人はみなこの悲しみを抱えて過ごしているのだろうと思います。

それでも時間は少しずつ心を癒してくれるものだと体験しました。
失った直後よりかはやはり時が経つにつれて少しずつその事実を受け入れている自分がいます。

愛犬は直前まで私たち家族と共に過ごし、いつも通りの様子で過ごしていました。亡くなる前日の夜、ふと目があった時に「かわいいね。だいすきだよ」と言葉で伝えていました。私たちの言葉を大体理解していそうな愛犬だったので、気持ちは伝わっていたと思います。

存在感の大きい家族の一員

寂しがり屋の愛犬だったので、突然家族と離れたことには戸惑っていたと思います。苦しい発作から救ってあげられず、本当にごめんね、と思います。

犬のてんかん発作は起きてしまうと止むまで施しようがありません。人間のエピペン的なものがなくて、ただただ見守るしかないのです。
だからどうか、動物にも同じように緊急処置薬が世に出てくれたら、と切実に思います。

色々な感情を与えてくれた愛犬。
長野に移住した後、近所の方達とすぐ打ち解けられるきっかけを作ってくれたのも愛犬が居たからでした。日課のお散歩のお陰で健康維持も出来ていたと思います。愛犬を失った後、すっかり歩かなくなってメタボ気味になった私と夫。お世話しているつもりが与えてもらっていたことが多かった事や、家族至上主義の愛犬から学ぶことも多々ありました。

悲しい気持ちと共に、愛犬へ思いを馳せると心が温かくなる感情も同時に起きます。

久しぶりのnoteでした。
特に何かを伝えたいというわけでもなく、とりとめのない文章になってしまいましたが、noteという場があって感謝です。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
また2025年はリトリート関連の記事をあげていきたいと思います。
どうか共に、お互いに、これから素敵な2025年を過ごせますように。

6年間という短い期間だったけど我が家にきてくれてありがとう







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