回り道?いえ、全部意味があるのでこの道が最短です。 ビジネス自己紹介
はじめまして!
業務上、お話やディスカッションをさせていただく方に向けて、
少しでも私のことを知っていただけるよう本noteを書くことにしました。
私自身がどんな経歴を経た、どんな人間かを知っていただく
これから新しいことを推し進める上で仲間になれそうだと感じていただく
こんなことを目的として書いてみました。
少しでも共感できるポイントなどを見つけていただけたら幸いです。
現在やっていること
2022年11月現在、web社内報サービスourly(アワリー)を運営するourly株式会社でCS(カスタマーサクセス)をしています。
これまでのキャリアを簡単に表現するなら
主にIT業界、様々な規模/フェーズの3社を経験。ourlyが4社目。
経験職種は様々で、企画/ディレクター/分析・営業・マーケター・CS。
最も長く携わっていたのは「企画」。全ての接客の現場に関わるSaaSを商材としていた際の経験から、サービス設計や導入支援に携わった業界は広め。
IT、エンタメ、アパレル、葬祭、不動産、小売、人材、自動車、金融など
このような形です。
色々やってるけど、あんまり軸がない人?と感じるかもしれませんが、そんなことはありません。割と強烈な軸があったりします。
少しだけ、生い立ち〜これまでをご紹介させてください。
面白さ、新しさ、不明瞭さを求めた学生時代
中高:埼玉県越谷市
物心ついた頃から”クラスに一人はいるお調子者”であり、友達大好き少年でした。
中学受験をしたのですが、記憶にある限り初めて「本気の検討と決断」を行ったのはこの時だったと思います。
”それまでの友達と別れることになる”ということが天秤の片方を強烈に傾けていた中、「自分の人生、自分にとっての他者、他者にとっての自分、自分にとっての価値とは?」を子供ながらに自身を俯瞰して悩み抜いた結果、このタイミングでこれまでの発想にはなかった環境に飛び込むことが、今の自分にとっては最上!と結論づけた結果でした。
今客観的に見ると「なかなかヘビーな検討してるなこいつ・・・」と感じますが、同時にこの経験が自分の”根っこ”を作った貴重な機会だったと思います。
それまでの発想にはなかった環境の中でも、より先の見えないチャレンジングな環境の方が燃えることに気づき、新設の進学校に目をつけ、この1校に落ちたら受験は諦める!と決めて1校のみ受験しなんとか合格。
後ほど登場する大学受験時も、全く同じように1校のみ願書を提出してこれまた運よく合格しました。
今考えると普通に恐ろしいことしているなと思うので、よく許してくれたな・・・と両親に驚愕及び感謝をしています。
元々、音楽を聴いたり絵を描いたり、大き目の工作などの創作活動が好きだったのですが、漫画を描いてみたり、路上ライブをやってみたり、ダンスに挑戦してみたり・・・
一つ一つは小さいアクションですが、これらを通して自分はエンタメが好きなんだと自覚したのもこのタイミングです。
同時に、生活の上での最低限でもないし、必須でもないからこそ、”自分にとってのエンタメ”に本気を出せる人生が最上ではないかと感じもし、その考えは今も自分の重要な構成要素だと感じます。
大学:東京都三鷹
一番好きな音楽というエンタメに、"やったことのないチャレンジ"を掛け合わせて楽しめる良い環境はないかと考えた結果、それまでその存在も知らなかったサンバのサークルに所属しました。
そこでは、ボーカルと太鼓をやってました。
「リオのカーニバル」をご存知の方は多いと思いますが、実は日本にも「浅草サンバカーニバル」という大会があります。年に一度、浅草に50万人の来場者が訪れるなかなかにHOTな大会です。(リオのカーニバルは150万人程度)。
サッカーでいうところのJ1、J2というリーグ制がサンバの業界にもあり、それぞれS1、S2リーグと言います。
社会人のチームがほとんどで争われる中、学生団体は2団体だけ。
一つは複数大学の合同チームですが、1大学だけで構成されたチームは例年うちのチームのみという状況で、特に初めての大会参加時は「大きい相手にぶつかる体験って燃えるじゃん?」と感じました。
100−150人程度が1つのチームになり、1日だけの大会で競い合う形なのですが、このチーム内でボーカルと一番のベースになる最大サイズの太鼓であるスルド(ポルトガル語です)を担当していました。
なぜこの二つだったのか。
演奏隊(ボーカル+ギターなどの弦楽器)+ダンサー+楽器隊(数種類の打楽器のみで構成)の構成で、100人を超えるメンバーの中で演奏隊のボーカルは2-3人です。しかも、毎年新譜を自作し、詞は全てポルトガル語。(ポルトガル語に触れたことは入学まで一切ありません)
好きです。こういうチャレンジング(で、目立つ^^)な状況
もう一方の太鼓の方は、同じく大きなチームでその土台をどっしり支える要を担いたいと考えて後に志願しました。
大学4年間のうち3度この大会に出場しましたが、このスルドの時代に、念願のS2リーグ優勝、そしてS1リーグ昇格を果たしました。
やっぱりチームで大きなコトにあたるのが楽しいや!(そこそこ大変だけど!)
というのが、大学時代の一番の学びだったかもしれません。
自分の軸に、”大人”と"ビジネス力"が加わった
社会人になってもやはり、思いもよらないところに飛び込んで、様々な面白いこと、広がりのあることを求める精神性は変わらずでした。業界にしても、職種にしても。
◆1社目:事業会社(1,000人程度の規模)
最初のキャリアとしてIT業界を選択。
様々なジャンルのモバイルアプリ開発/プラットフォーム運営といったコンテンツ事業、ヘルスケア事業事業を行なっている1,000人程度の規模の企業にディレクター職で入社しました。
エンタメに携わる仕事がしたい。そして、できれば多くのジャンルのエンタメに触れてみたい。業界内で変化の早さがあると尚良し!というのが理由です。
そこではまずweb/スマホゲームのプラットフォーム運営、新規ゲーム企画とアプリ制作やアプリ内のイベント企画運営など行ってました。
(ガラケーのゲームアプリ怪盗ロワイヤルとかが出た頃です。)
その後社内でお声がかかったら新しい部署で新しいことをやってみると言う流れで様々経験しました。
新規アプリ制作、オンライン・オフライン問わずPR施策など提案する新規企画営業、代理店営業などなど…
◆2社目:bitA(当時100人規模ベンチャー)
ここで初めて学んだのは、企業規模によっても、仕事内容やそこで働く方の特性、働き方や意識、個人を超えた組織としての強み/課題が変わってくることと、それの面白さなどです。
自身は100人規模のベンチャーにいながら、複数の大手企業様の支援をさせていただくという経験がこの面白さに気づけた一番の理由だったと思います。
こ、これが「優秀なビジネスマン」「優秀なチーム」そして「だからこその難しさ」と言うものか・・・!
と知れた時の衝撃は今でも覚えていますし、それぞれのタイミングで自身の大きな糧にもなりました。
◆3社目:スタートアップ企業(入社当時3名)
ここで、「スタートアップ」というものに初めて触れることになりました。
面白さと自分の至らなさ、そして意思と組織に対する考え方の重要性、チーム・リーダー・メンバーそれぞれが冒しがちなミスや乗り越え方、など本当に貴重な経験だったと思います。
◆4社目:ourly
2022年、改めて縁をいただきbitAの子会社であるourly株式会社にカスタマーサクセスとして出戻ってきました。
そして今、贔屓目なしに
この組織、そしてこのサービス独自の可能性と強さを感じています。
さらに、これまでの様々な経験から、今ここで初めて自分にできる働きがあるように感じていますので、これまでの集大成をこのourlyにぶつけていくつもりです。
おわりに
ここまで読んでいただきありがとうございます。
私自身がどんな経歴を経た、どんな人間かを知っていただく
これから新しいことを推し進める上で仲間になれそうだと感じていただく
これらが達成できていれば嬉しいです。
皆様と今後ご縁がいただけた際に、よりスムースに、より楽しく、新しさや価値のある貢献ができるよう、これからも精進を続けます。
よろしくお願いします!
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