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トガミ昆虫記② ノコギリクワガタ

 ノコギリクワガタは、平地の河畔林や雑木林が保存されている公園、標高の低い里山、高い山のブナ林まで、どこでも見られる普通種です。
 そのためか、ミヤマクワガタやオオクワガタなどと比べると、格下扱いをされやすい傾向があるようです。
 しかし、私にとっては、このノコギリクワガタこそが最も好きな種のクワガタなのです。

夜のヤナギ林にいた雄。


「何でノコなんかを?」 と、怪訝な顔をする向きも少なくないので、その理由を挙げておくと――。   まず、子供の頃から目にする機会が多く、慣れ親しんだ種である点が挙げられます。
  群馬県の都市部で育った私にとって、今では普通に捕れるミヤマクワガタも子供の頃にはまったく捕れなかったし、オオクワガタとは完全に無縁、ヒラタクワガタも他人が飼っていた個体しか目にしたことがなかったのです。
  また、コクワガタは、それこそ郊外では農家の生垣や屋敷林として植えられたカシの木などにもいますが、より普通種過ぎたことと、小さくて地味なことから、さほど愛着が持てませんでした。
(実はコクワガタも、国産クワガタ全体から見ると中型クラスで、決して小さな種ではないのですが……)

 その点、ノコギリクワガタの雄は体長60ミリを超える大型個体が数多く見られるし、大顎が大きく湾曲しており、体色も赤みがかった美麗な個体が多いのです。
 精巧な美術品のようで、実にカッコイイ!
 それに加えて、クワガタムシの雄は、小型個体を〈小歯型〉、中型個体を〈中歯型〉、大型個体を〈大歯型〉などと呼びますが、ノコギリクワガタの〈小歯型〉や〈中歯型〉は、〈大歯型〉とはかなり風貌が異なるので、まるで別種のように見えます。
 そんな個体差によるバリエーションの多彩さ、個性豊かな点も面白いのです!

標高600メートル付近の雑木林で、コナラの大木にいた大きな雄。
中歯型の雄。黒い個体。
小歯型の雄。
昔、私の地元では、小歯型や中歯型の雄は子供たちの間で〈バリカン〉と呼ばれていました。手動式バリカンの柄の部分に形状が似ていたためかと思われます。現在は理髪店でも電動式バリカンしか使わなくなったので、この地域名は死語になっていることでしょう。
標高400メートル付近のヤナギ林にいた雄。真っ赤な個体でした。

 だから私は毎年、夏には1頭~数頭のノコギリクワガタの雄を採集して飼育することにしています。
 雌もごく少数だけ持ち帰って、ブリードを行うこともあります。
(虫捕りにはひと夏に10~30回ほど出猟しますが、ノコギリクワガタに限らず、虫は必ず気に入った個体をごく少数しか持ち帰らないことにしています。そして他者が採集した個体は、基本的には飼育も標本化もしないことにしています。売買も一切、行っていません)

 ノコギリクワガタは、飼育しやすい虫です。
 現在の群馬県南部は夏の暑さが凄まじいので、なるべく涼しい場所で飼育するように心がけていますが、ミヤマクワガタのように保冷飼育をしないと短命に終わったり、産卵をしなかったり、ということは少ないと思います。
 それでも、数多くのノコギリクワガタと接していると、たまに1ヶ月余りで死去する短命の個体や、産卵しない雌がいることは事実です。
 したがって、7月頃に採集した個体が、11月頃まで生きた場合は、天寿を全うしたものとして、悲しむよりも喜ぶことにしています。

 とはいえ、ノコギリクワガタは、昆虫としては必ずしも短命というわけではありません。
 卵の期間は10日~30日ほど(我が家では孵化までに45日もかかった個体がいましたが、平均すると14、5日程度が多いと思います)。
  幼虫の期間は1~2年です。

 雄は1年間で蛹になる個体と、2年がかりで蛹になる個体がいます。
 2年がかりで育った個体は、大型個体(大歯型)になる傾向があります。
 そして、いずれも3週間~1ヶ月の蛹の期間を経て、羽化します。その後、蛹室(▼ようしつ)の中にとどまって、1年弱ほど〈休眠〉してから活動を開始するのです。
 つまり、大型の雄は、丸3年~3年数ヶ月は生きるわけです。
 
 雌は餌が不足した場合以外は、大抵1年間で蛹になります。
 蛹室での休眠を1年弱ほど行う個体もいますが、休眠を行わず、晩夏や秋口から活動を開始する個体も見られます。
 したがって、雌の寿命は1年数ヶ月~2年数ヶ月で、雄よりも短命、ということになります。
 ただし、産卵という重要な役目を持つ雌は、野外で雄を見かけなくなった9月下旬以降になっても、その姿を目にすることがよくあります。

(ミヤマクワガタもほぼ同じ生活史を送りますが、私が飼育した一族は、雌もすべて1年弱の休眠期間を経てから活動を開始していました)

 なお、活動開始後のノコギリクワガタがどこまで生きられるのか、ですが、2014年7月11日に私が採集した体長65ミリの雄は、越冬して2015年6月18日まで生きていたことがありました。
 また、私がブリードした雌が、1年間の幼虫〜蛹の期間と1年弱の休眠後、8月に活動を開始して、翌年の6月頃まで生きていたこともありました。
 ほかにも、そこまで長生きではありませんが、7〜8月に採集して12月まで生きていた個体や年を越して1〜2月まで生きていた個体もいました。
  いずれも無加温での、室内飼育です。

 ちなみに、私が飼育したミヤマクワガタは、2011年6月22日に採集した雄が、無加温で年越しして、2012年3月3日まで生きていたことがありました。
 雌は短命のようで、すべて10月後半頃には死去しています。

 しかし、これらはいずれも私が飼育した個体におけるデータであり、野外では天敵である鳥による捕食や人間による採集圧、暴風雨などの影響を受けることもあって、長生きできる個体は少ないようです。

  夜のヤナギ林にて。コクワガタが樹液を吸っていた場所に近づいてゆきます。
  立ち止まってプレッシャーをかけるも、コクワガタが逃げなかったので、ついに攻撃開始。大顎でコクワガタの頭部を挟み込みます。
  パワーに圧倒されたコクワガタが逃げ出し、ノコギリクワガタが餌場を強奪しました。このヤナギ林はカブトムシやミヤマクワガタ、オオスズメバチがいなかったので、ノコギリクワガタが昆虫の頂点にいました。

  ノコギリクワガタの雄の武器は当然、立派な大顎ですが、これはほかのクワガタムシや昆虫に対しては役立つものの、鳥獣や人間にはあまり役立たないものと思われます。
 そのため、木から音もなく落下して難を避けたり、中には排泄物(液状のフン)を引っ掛けてくる個体もいます。
 ある時、直線距離で2メートル余り離れたヤナギの樹幹にいた雄を見つけた際に、近づこうとしたら、物凄い勢いで大量の排泄物を飛ばしてきたことがありました。
 私の目を狙っていたのか、眼鏡のレンズにまともに引っ掛かったのです。
 眼鏡を掛けていなかったら、一体どうなっていたことか……⁉
 ノコギリクワガタには、意外な護身用の武器があることがわかりました。

  カシの木の樹液に集まる様子。昔は、クワカブにはクヌギが最高の人気樹種でしたが、昨今の群馬県内では樹液を出さないクヌギが増えているせいか、カシやコナラのほうが人気があるようです。 
夜のヤナギ林にいた雄と雌のペア。
  飼育下にて。雄66ミリ、雌39ミリのペア。どちらもワインレッドの美麗な個体。これは交尾ではなく、雄が雌を独占しようとして、結果的に守ることになる、メイトガードと呼ばれる行動です。メイトガードから交尾に至ることも、よく見られます。


  ノコギリクワガタは、クワガタムシの中でもとくに繁殖力が旺盛なようで、かなりの高確率で、雄と雌が一緒にいる光景を目にします。

 コナラ林にいたペア。樹液を舐める雌と、メイトガードに励む雄。野生の個体を観察していると、雌はよく餌を食べていますが、雄はメイトガードと交尾に明け暮れ、ほとんど餌を食べていないように見えます。飼育下よりも寿命が短いのは、それも一因なのでしょう。
  ダラダラと湧き出る樹液よりも、シミチョロの樹液のほうが美味いようで、クワガタムシもカブトムシも数多く集まります。写真のノコギリクワガタ雄は、このあとカブトムシの雌を追い払って、樹液を舐めていました。
ライトトラップに飛来した雄と雌。ノコギリクワガタは飛ぶ力が強いようで、灯火によく飛来します。
  雌も意外と気が荒いようです。この雌はなぜか、ほかの雌を頻りに攻撃していたのですが、やがて雄が近づいてくると、その雄にも喧嘩を売って、返り討ちにされていました。
ノコギリクワガタ雌、39ミリ。今年はこの雌が産んだ幼虫を育てています。
  必ず単独か、雄と雌のペア飼育をしています。産卵セットを組む段階になったら、ペアを解消させてそれぞれ単独飼育に切り替えます。
  さまざまなサイズに育った幼虫たち。幼虫は孵化後に一齢幼虫となり、脱皮を繰り返して二齢幼虫、三齢幼虫(終齢)となります。ここには一齢幼虫から三齢幼虫までいます。三齢幼虫の期間が一番長くなります。
雄の蛹。羽化してから1年近くの、長い休眠を行います。

(注)……この記事の無断による転載、複写、配信、盗用などの行為を固く禁じます。なお、乱獲や木のメクレを剥がす、生木に傷をつける、山や河川敷、公園などにゴミを不法投棄する、などの自然破壊行為は絶対にしないで下さい。採集場所は群馬県内ということ以外は、完全に非公開です。



 
 

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