日記
マジで日記捗ってるthese days.
どういう変化?
◎
人から「太った?」ってやけに言われた本日。
うち1名には「ガチでそういうこと言わんほうがいいよ」って返事したんだけど、なんか、それもそれで窮屈な感じはするんだよなぁ、と思ったりもする。
別にそこから始まる会話もそれはそれであるしなぁ。
受け止め方も、普通に関係性とか気分とかに左右されるだけっちゃだけの話だから、まぁ俺を不快にするリスクはあるっちゃあるけど、リスクでしかないからねぇ、と思うなど。
俺は強くはないけど弱くもないから、そんなふうに思うよ。
リスクを慮ることって、俺そのものを慮ることなのか?
そこを気にかけるときに目を向けられているのは俺のようで俺ではないのでは?
ある種のまなざしをネガティブに感じることはもちろんあるけれど、そうでないことは全然あるし、まなざしを向けられること自体がないのは、やはり寂しい。
「愛の反対は無関心」とはよく言ったもんだ、と思ったりもする。
言うべきでないとされることを言うことに、愛がこもるための条件は何だろう。
いや、愛はいつでもあるのかもしれないが、愛があると感受されるための条件は何だろう。
「あなたのためを思って」がしばしばエゴの表現でしかないとされることからしても、相手を気にかけるつもりがあるかどうかだけで決まるわけでないのは確かだ。
さすがにいま考えを進めるべき話題じゃない気がしてきた。
こういうことを考えるのは楽しいし、ゆとりが出てきたのは嬉しいことだけどねぇ。
◎
やきそバトルとてもよかった。
これ、本当にやってみるまで気づかない話だったし、言語化した今も「まぁ伝わらんやろ」と思ってんだよなぁ。
そういうことって多いんだよなぁ。
じゃあ伝わるまで言葉を尽くせよ、とも思うが、でもそれより「当たり前っちゃ当たり前のことが体感をともなって襲ってきた時の感動って、やっぱり言い表しづらすぎる」という事情の深刻さのほうが先に立ってくる。
言葉を磨くのだってリソース使う話なわけで、残念ながら今の俺はそこにリソースをそんなに割いていられない……。
「日常やっていることは、思った以上に手癖にあふれていて、その手癖は人によって相当それぞれだ」なんて話、めちゃくちゃありふれてるじゃないですか。
それを体感した感動とかってさ、めちゃ言い表しづらくない……?
◎
平和で楽しい時間っていいよなぁ。
平和で楽しい時間を生み出せる人ってそれだけで貴いよ。
マジで。
◎
久々に人の悩みをじっくり聞いたりしたいな、と思いながら、最寄駅からの帰り道を歩いた。
もちろんこれに触発されたからなのだけど。
皮肉とか全くなしに、これやれるのすげえなあ、と思う。
俺はやっぱり、人のネガティブな感情にさらされることも、それに触発されて抱く自らのネガティブな感情のことも、あまり好きになれないから。
それでも、今のほうが「ただ聞く」ことができるような気がするし、それでいいと信じられているような気もする。
というか、「ただ聞く」というラインを踏み越えることを、我々は絶対にできない、という納得のようなものがある、というに近い。
「ただ聞く」がベスト。それでいい。
それ以上がやりすぎになるとか、それ以外だとうまくいかないとか、そういうことまで断言する自信はないのだけど、ただ聞いている時が一番落ち着くし、結局これが一番いい気がするよな、と思ったりするのだ。素朴に。
まぁ気のせいかもしれないんですけど。
アドバイスみたいなものは思った以上にクソほども役に立たないから大体そっちよりはなんぼかマシだよ、くらいの話でしかないのかもしれない。
俺が他人にアドバイスできる領域なんて猫どころかハツカネズミの額くらいの広さしかないし、どうにかアドバイスしようと思う時は大体そのクソ狭い範囲の内側の話をしていない。
相手のためになる話をしているときはおそらく「アドバイス!」なんてことを全然思わずに話をしている。
知らんけど。
やっぱ人の悩みなんか聞くの怖いかもな……。
◎
俺だって安全なところで自分の悩みとか思いっきり話してみたいけどねー!