文章

おしゃれに書こうとしない。
おしゃれに書こうとしない。
おしゃれに書こうとしない。

3回唱えました。

おしゃれに書こうとしてもいいことはないですからね。

(そうなの?)

伝わってほしい人に機微が伝われと思う。
わかりますかこの気持ち。
そのためのおしゃれだったらいいよなぁ。
そのためじゃないカッコつけだったら何の役にも立たないよなぁ。

朝から胃薬を飲みました。
ガスター10、前に胃もたれした時に結構よかったので。
頼みますよという感じだ。効いてくれ。
朝起きた瞬間から胃が重くて重くてたまらんかってん。

もう嫌や〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

空気をぶち壊されることが嫌いです。
でもわしが「空気をぶち壊される」と言ったときに本当に「空気」なるものを見ているのかは極めて怪しいと思っていて、じゃあ何を実際のところ見ているの、何から何を感じているの、と問われるとそれは結構難しい。

俺は「予測」をしている。
目の前にいる人が欲しいであろうものをふんわりと。
おそらくこの人はこういうものを求めて今日ここに来ているんじゃないかな、と。

それが実際のところどれだけ当たっているかというのは本当に、本当にわからない。
「満足できましたか?」「欲しいものは得られましたか?」と問うことの無意味さ、みたいな。
でも、その予測にすごく頼っている。
なんでそんな予測が成り立つんだろうな。そしてなんでそれが「当たっている」ような気がしばしばするんだろうな。

予測に沿わないことが起こると、そしてせめてそれが予測を上回って「善いこと」でないと(正確には「善いことだと予測され」ないと)、俺は空気が壊されていると感じて、ストレスを感じる。

ストレスが指標になる。
これはまずい、と思うことが次の振る舞いを決定づける。
めちゃくちゃ感情労働だと思う。
なんかもっとまともな武器はなかったのかよ、と思うけれど、少なくとも気づいたときにやっていたのはそれでした、みたいな。

空気読みが空気を手がかりに、場を満たす微妙な振動に対する自分の感情的な反応を手がかりに、次の振る舞いを選択する。
疲れる時は疲れるんだよなぁ。
そういうことで飯を食っている人間もいるという事実をせめて面白がってやってください。

学問

一生わからん。

要するにバランスなんですね。
少なくとも店みたいなところ、つまり明示的なものであれ暗黙的なものであれルールを(比較的)共有していない他人同士が集まる場所においては、ルールベースでのコミュニケーションにそこまで重きを置けない。
ヨーイドンで始まったら、みんなで手探りで練り上げていかなくてはいけない。
それは規範的にそうというよりは、実際のところそうせざるを得ない、という話ですね。他の人がどういう背景を持っているのかとか色々わかんないんだから。

みんながめちゃくちゃ初心者なのに一人だけ中級者がイキり散らして暴れたら普通に場としては厳しくなる。
しかしそれは逆も然りで、みんなが上級者の場でたった一人の初心者が分を弁えず喚き散らしたらそれもそれで相当厳しい。

じゃあマジョリティに寄せろよ、というのが大原則なのか?と問われたら即座にはうなずけない自分もいる。
マジョリティが自分たちの内輪ネタを擦り倒しているだけの場なんておもろくもなんともないですからね。
そこに対して風穴を開けるマイノリティが場に動きをもたらして面白くなるということはいくらでもあるし、俺は割とそういう瞬間が好きだ。
でもそれも程度問題で(ラディカルな人は「何が程度問題だカス」って言ってきそうですけど)、俺からしたらある一定のラインを超えてバランスを失った場はおもろいどころか苦痛でしかなくなる。チキンレースでブレーキを踏み損なったら待っているのはやはり奈落の底なのである。

善きコミュニケーションとはこれである、と定式化してしまうことに対してはものすごく抵抗があって、それはマイノリティをどこかでは排さざるを得ないと思っていることへの後ろめたさであったり、善さとして思い描いているのが単なる調和とその適度な破れみたいなフワッとしたあったか〜いぬる〜いものであることに対する自分なりの「本当にそれでいいのかよ!?」みたいな疑義から来ているんだけど、現実問題、あえて「現実問題」って言葉使いますね、そう、バッドコミュニケーションに陥った瞬間に人ってその場からスッと立ち去っていくじゃないですか。ほとんどの人は一言も発さずに、Badボタンすら押さずに。

お前は結局他人のGood / Badを指標にしてしか物事の良し悪しを測れないんだな、と言われてしまうと本当に返せる言葉がなくて、そこには信念とかビジョンとか野心的展望とか人類や世界に対する「99.99…%負けは決まっているけど、それでも俺は勝ち目を捨てずに戦う!」みたいな強い気持ちとかないわけで、じゃあ風向きが変わったらお前はきっと風に背中を押されるままひどいことも平気でできてしまうんでしょうね、と自分を責めてみるとマジでパッと言い返せなくて、うわあつら、となったりする。確かに道徳的に振る舞いたいって思うフシもありますねえ。でもそれって単なる「他人からの非難を避けたい」の別バージョンじゃねえの、と再度問うとやはり厳しい感じになる。僕もう31だしもう少しで32だしあと60年もしたら死んでるはずで、そんな老い先短い人間にそんなに期待をかけないでください……。

どのカテゴリーにも尊敬に値する人間と値しない人間というのはきっといて(「値する」って結局主観の問題だから「それってあなたの感想ですよね」って問われても「はい」って堂々と言えるな)、だからカテゴリーで切ったものに対してそれを盲目的に称揚するのってやっぱり違うなぁと思ったけど、それって主観的な価値を判断基準にしているからこれって私の感想ですよね。感想ベースで生きちゃいけないの? 感情ベースで生きちゃいけないの? 誰が「いけない」なんて言ってるんだ。まぁ俺なんですけれども。なぜ俺は俺の都合を俺のために優先することにそこまで躊躇いを感じているんですか? いい人ぶりたいんですか? いい人だと思われたいからなのか。ああもう疲れてきたよう。なんでここまでグチグチ考えなくちゃいけないんですか? 本当に腹立ってきた。頼むから空気くらい読めよ。

感情を排してもっと崇高なものをベースに生きましょうみたいなのも結局のところ99%はポジショントークだろうが。

しかし確かに崇高なものに対する感情がまっすぐな、崇高なものそれ自体にする感情として、つまり「嫌われたくねえ」だの「いい人に見られてえ」とか「結局そう振る舞うのが一番トク」だのといった感情や価値判断を経由しないものとしてあったら、それは確かに素敵なことじゃないかしらってのは思うけど、その境地に至るのに必要なのって、結局のところ経験とか知識とかそういう場数的なものだったりするのかなー。
場数を踏んだってそんなものに至れる保証はないけどね、でもまぁそういうものがあるって想像してそこに手を伸ばしていくことはできるよね、みたいな話を昨日聞いたわけですけど、まぁそうであってくれたらいいなって感じだ。
でも俺の現在地はあくまで現在地としてあるわけですよぉ、オヨヨヨ……。

学問

「そんなものはAじゃない」みたいな批判ってどうとでも浴びせられるんだけど、その根拠として持ち出されるのって、だいたいは「世間一般の共通認識がどうか」って話だ。
もちろん「理屈で考えた時に体系の他の部分と整合しているか」といった基準を持ってきてもいいと思うんですけど。
まぁどっちも似たようなものだと思うんですけどね。後者のほうが厳密さを追い求めやすいところはあるかもしれないけど、それは領域などにも大いによる。
やりづれえところでそんな仕事をしている人はマジで凄まじいと思います。そうやって世間一般の共通認識をガチンコでぶっ壊す的なね。

でもそんなレベルでパンチ喰らわせられる人なんてマジで一握りだと思います。
お前はたぶんその一握りから余裕で漏れているので黙っていてください。

ガチの一握りの人、怖そう。雑魚のことなんて一言で黙らせられそう。

俺は本当に何を信仰して生きていったらいいやらな〜。

ヴォエア

断言できない。

断言できない。

断言できない。

苦しい。

断言ができない。

断言したらそっちに行ってしまいそうだから。

断言しなくてもどこかには転がっていってしまうから、同じことなのかもしれないけれど。

曖昧なままで留まっていたい。

ずっと思いつづけてきたことだ。

断言するのが怖い自分が嫌いだったなぁ。

今は、好きでは別にないけど、それはそれって感じで甘やかしているなぁ。

盗人にも三分の理、どころか理でがんじがらめでしょ、とか思っちゃったりしてね。

ぶっ壊してほしいと思ってるよ。

でもぶっ壊された時に「絶対信じられる揺るぎないもん見つけたったわ」とか言ってる自分がいいかっつったらね。

まぁでも、その揺るぎないもんとやらがフェイクじゃなければね。

でも大概はフェイクですからね。理由をこじつけてそれらしく見せかけただけのフェイク。

悲しすぎるるる。この世はこじつけばっかりですよ。俺含めてみんなこじつけばっかりやってますよ。

せめて正当性なんて求めちゃいけないね。全部お前のエゴです。

殺されたくないから。奪われたくないから。嫌われたくないから。傷つきたくないから。

楽しくありたいから。笑っていたいから。安心していたいから。自分を好きでいたいから。

俺は俺のエゴに基づいてお前らを断罪します、すべては正当性を持たない私刑です。


ごめんなさい。

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