日記

わかったわけねーんだけど、わかったような気がしてからというもの、すっきりしている。

やることは依然多い。
見えていないことも依然多い。
あれだ。テレビゲームとかで、ワールドマップを開くと、未到の土地は雲がかかってたりしてどこに何があるか見えないようになってたりしがちだけど、感覚的にはあれに似ている。
一定の範囲から外側のことは、想像しようとしてもうまく想像できない。
ただまぁ、それはそういうもんであって、これからさらに色々積み重なるうちに、視野も勝手に広がっていくものだったりするのかもな、それならそれで、と思い切れてもいる。

今のテレビゲームでも、ワールドマップ上の未踏の土地には、雲がかかっていがちなんでしょうか?

     *

やらなきゃいけないことがたくさんある。
これはやったほうがいい、ぜひやるべきだ、と思うようなことが。
何故って、それらをやったほうが、自分が漠然と良いと思っているものに対して、より近づいていける気がするから。

そう、目指す方向が前よりも少しわかってきた気がしているんだ。
本当にこっちに行ってよかったんだろうか、と思いながらだと、何をやるのも少し億劫だった。
やってきたことの中には、自分にとって正しいものも含まれていたのかもしれない。
でも、それも含めて、何をやるのも少しずつ億劫だった気がする。

「正しい」って言葉ってこう使うぶんには悪いもんでもないのか、と、今、少しだけ思えた。

自分の目指す良さをきちんと目がけられていることを「正しい」と表現するのは、あまり窮屈に感じない。
一つの用法として、これは許せる。

そして、そんなふうに思えるようになったのは、コミュニケーションを重ねてきたからだ、とも思う。
無理なことを諦められるようになったから、と言い換えてもいいかもしれない。

他人のことをどうこうしよう、みたいな気持ちがどんどん薄れている気がする。
どうにかする、ってのは基本的に無理筋で、それは好きな人間でも嫌いな人間でも同じことだ。
イラッとするしないの偏差はあれ、それを左右する要素として大きいのは好き嫌いや相性であって、コントロールの出来具合みたいなことでは決してない。
そして、コントロールされたかのように完璧な時間に出会えたとしても、その実現は断じてコントロールによるものではない。
環境はじめコンテクストによって規定される部分はあるだろうし、そのポテンシャルは侮りがたくあるかもしれないけれど、ここまでで話題にしたコントロールはあくまで直接的なもの、たとえば「ああしろこうしろ」とか「それやめて」とか「こうしたほうがいいんじゃない?」とかそういうやつだ。
そういうのはだいたい無力に終わるか、力を発揮するにしても他にひずみを生じさせて終わることが多い。
たまに効くこともそりゃああるにはあるが、それはコントロールそのものの質の問題というよりは、発言者の説得力とか相手が置かれてるタイミングとか、それこそコンテクストによるところが大きい。と思う。

細かいことはさておき、コントロールもういいや、みたいに思った瞬間が、どこかであったような記憶がある。
なんか、うまくやるとかうまくできないとか、いいや、自力でどうにかするのは無理というか、多分それは能力の問題というよりそもそも人間のつくりから言って無理筋なんだろう、物事の理の問題なんだ、みたいなことを、そこまで明確なかたちではないにせよ、おそらく思ったのだ。
そのあたりから、場を「コントロール」しようとするのを、俺は放棄した。
そして、どちらかと言えば「マネジメント」していくみたいな方向に、軌道を修正しはじめた。きれいな言い方をするならば。

そこからしばらくした今。
もちろん、色々ほかにもいろんなきっかけはあったが、まぁそうこうしているうちに、なんとなく自分の目指したい方向がうっすら感じられるようになった。

強めに留保しておきたいことだが、これはやはり「俺が俺の理性によって気づいた」みたいなことではない。
実際、直接的なきっかけとしては、信頼できる人と「俺って何がしたいんだろう……」みたいな会話を十分重ねたことなどのほうが大きい気がする。
上に述べたようなことは、それがきっかけになるための土壌のようなものにすぎない。
でも、土壌がなければ種から芽が出ることはないわけだし(雑な言葉遣いですが許してください)、土壌が整ったことは、やはり大切なんだろうなと思う。

そういう過程で、俺が意識するとせざるとにかかわらず諦めたものというのは、おそらくそれなりに多いのではないかと思う。
最初から無理筋だったものを手放しているわけだから、「諦めた」という言葉遣いが適切かどうかは少し疑問でもあるのだけど。
でも、少なくとも、その筋で攻めてもその案件はどうにもなりませんね、みたいな問題について、その筋で考えることはやめた。手放した。
ごめんけど、無理筋は無理筋なので、いったん放棄します、といった感じで。

できれば自ずからどうにかなってください、というのが本音だし、一応別の筋からどうにかなってくれることへの期待が全くもって皆無というわけではないけど、俺としては、極力素直に自分が「正しい」と思うことを積み重ねるだけなので、ごめんけど、といった感じで。
なんやろね、何が言いたいのかよくわからんね。

自分の目指す先がより良いものとなり、その過程で生まれるものがますます良いものとなることを、確かなことが何もわからない頭で、ただひたすら祈るばかりです。

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