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大武法者事始

 慶長三年葉月、太閤豊臣秀吉没。

 内大臣徳川家康の動きはあまりにも早かった。
 秀吉生前は潜めていた野心を露にした家康はうって代わり、自らが天下人であるという威光を示さんばかりの専横の風を見せ、諸大名間に権謀術数を張り巡らせ出した。表向きこそ秀頼を支え、政を為す名目では有るが、それは誰の目にも豊家に弓引く行いの数々であった。

 裏で飛び交う家康とそれに対すべく立ち上がった石田治部の密書は近く天下の趨勢を決する大戦(おおいくさ)が起こる事を多くの者に予感させた。

 長く、長く、数年、いや十年、図らずも其れ以上に渡り続くであろう大戦になるやも知れぬ。

 其の正に日ノ本の“武”の極みともいえる一戦に心踊らせる者達がいた。
 彼らの待ち望んだ武の時代、人外の刻、修羅の世の到来である。

 だが数多の世人の胸算を裏切り、関ヶ原の大戦は半日を待つこと無くして終焉を迎えた。
 人外の修羅たちが磨き上げた技前も、その兵具を鍛え上げた技巧も、終(つい)に広く知らしめる事能わず、機会は失われたのだ。
 此処よりの戦は全て乱世の始末である。待つのは徳川の治める太平の世だ。それはすべからく武に携わる者たち、取分け人外の修羅たちに自らの去就を決する必要がある、という事でもあった。
 その様な酣(たけなわ)、どの武の派閥にも居る“逸脱者”たちにとある書状が届き出した。

 「殺人刀太刀、活人剣太刀、申し上げたき義、有り候」

 ただ活人剣太刀には大きく〆印が書かれていた。
 戯れでこの印可を名乗り、また〆印を一筆書き加えれる者は居まい。
 ならば己に一体何か有らん。
 行く当ての無い己が去就に拠所を求め、津々浦々より逸脱者たちはその示された場所へと向かうのだった。

◆ ◆ ◆

 慶長六年霜月晦日。
 有明月の空は暗く、京洛外の山中にある廃寺を幽(かす)かな光で照らしていた。

 夜半、一人、また一人と書状を受け取りし者共が集いだした。
 皆、面や頭巾、面頬をしており、声も発さぬ為、互いに何者で有るのかを伺い知る事は出来ない。知ろうともしない。
 各々明かりの灯る本堂の外陣に思い思いに据わり、書状の主、かつては本尊が置かれていたであろう場の前に座る頭巾の男が話出すのを只待った。

「よう来て下さった」

 男は頭巾を脱ぎ話し出した。
 場に似つかわしく無い程の朗々とした声で話す禿頭の老人に皆戸惑いを感じて居る様子であった。

「此処に集うて下さった、という事は拙者の名を存じとると思うておるが、改めて申しておこう。タイ捨流、石見入道徹斎と申す。丸目長恵(ながよし)の方が通りがよいかの」

 剣聖、上泉信綱に師事し、足利将軍や正親町の帝の前で剣技を披露した、あの丸目蔵人がまさかこの様な好好爺で有ろうとは。

「あの兵法天下一の」「石見守、蔵人佐」「伊勢守、四天王」

 静まり返っていた堂内の空気が俄(にわか)に騷(ざわ)つく。
 書状の主が彼の人で有ろうと解って集いながらも、何処か疑念を持つ者も少なからず居たのだ。

「あぁ、畏まらんで下され。儂を実に見た者も、手合わせされた事の有る者も居ろう。しかしながら今宵初めて見える方には確かに身の証が立つまい」

 どさっ。
 本堂の角に座していた男が急に仰向けに倒れた。
 何時の間にか長恵の左腕は振り上げられている。

「伊賀者かの?招かざる者が紛れて居った故に罷(まか)って貰ったが、まあ此で儂の身の証として頂けるかな」

 倒れた男の眉間には深々と苦無が突き刺さっていた。
 気配すら、殺気すら感じさせること無く長恵は其をやってのけたのだ。

裏タイ捨流・紫電鏢!

「さて、本題に入るとするかな」

 まるで人一人殺した事すらも些事で有ったかの様に長恵かんらかんらと笑い、話を続けた。

「儂は二度読み違えたのよ。先ず大口城の戦。まあ、此は儂の慢心じゃな。大敗けよ。そして此度の関ヶ原よな。儂はな、今暫く乱世が続くと思うておった、此処に居る者も差違無くそう思うたであろうよ。儂らは大戦の肝を目前にしながら味わう期どころか其の物を逸した訳よ。只な、言うても戦は水物よ。天下の大戦であろうとそう言う事も有るのだろうよ」

 誰も言葉こそ発さぬが首肯する気配。

「まあ終わった戦は終わった戦よ。喩えこの後に豊家が足掻こうとな。だがな、この後だけは読み違える訳にはいかんのよ。真に難儀と成るのは徳川の下での泰平の世よ。儂も表立っては泰平の世で流派を持すだろうが、タイ捨流の実の戦に挑む型も数代先には文字通り只の型と、武は芸となろうよ。我が師、伊勢守の教えも全てな。遠からず此処に集うた刀匠の業も、人を斬る事無く腰に吊るされるのみ、其すらなく寺社に奉納されるに止まろう。戦の形すら変えた鉄砲鍛治の巧みも果ては鳥獣を撃つ道具と成ろう。忍の術理とて徳川にまつろわぬなら不要とされ、何(いず)れ御伽噺が如きものと成り果てよう」

 堂内は静まり返っている。
 だが、皆己が先行きを、修羅の生きれぬ世を思いやり場の無き憤りに打ち据えられているかの様だった。

「武の武としての有り様が死ぬ。矛を止める武など認めぬ、矛を以て止めるこそが武よ。儂はそれが面白う無いのよ」

 先程人を殺しても崩す事無かった好好爺がその内に秘めた修羅の片鱗を覗かせ、一同はその鬼気に固唾を飲んだ。

「ただ儂は流石に老い過ぎた。だがな、このつまらぬ天下より外れた何処(いずこ)かに武を渇望する者達の楽土、真の武の法が敷かれしクニを求め止まんのよ。その為に其方らまつろわぬ武に携わる者共に集うて貰った訳よ」
「…ならば我も助力せん」

 梁の上から突然声がした。
 男とも女とも、老いも若いも解らぬ、だが凛とした声だった。

「よう来てくれたな」

 皆が戸惑う中、長恵だけは声の主が何者かを察した様に返す。

「貴殿が招いたので有ろう。しかも我が来るのを見越して屋根裏の伊賀者を游(およ)がせて置くとは、質が悪い爺だ」

 天井より黒い塊がどすんと床に落ちる。
 それは喉を切り裂かれた黒尽くめの躯(むくろ)であった。
 幾人かの者は驚き飛び巣去った。

「姿は見せん。だが風魔はその話乗ってやる。爺では荷が重かろうて」
「船はどうにかするでの、宜しう頼むわ」

 長恵は呵呵大笑した。

「昨今、畿内で何やら新免無二の倅が派手にやっとるが、奴には袖にされたんでの。惜しいが、まあ、あ奴はまだ武の先に城を見とる。今のままでは其があ奴の限界じゃろて。武は其こそ天や空(くう)にすら届くモノと未だ気付いとらん様だしの」

◆ ◆ ◆

 夜も更け、一人、また一人、帰路に着く。
 彼らの表情は伺い知れぬが、ただその目には未だ見ぬ天地で戦働き出来る事への悦びが見て取れた。

 長恵は暫く間を置き、最後に本堂を出て、月を見上げ独り言(ごち)た。

「もう一人居ったの。武の先にまだ城を見とる奴が」

 気付けは何時しか長恵の周囲には三人の男。
 殺気を隠す事無く、正面、左右より男たちは抜き身を上段に構えにじり寄る。呼吸の合った動きには一分の隙も無し。

「お主ら、石舟斎より儂に付かぬか?あ奴より面白い夢を魅せてやれるぞ」

 男たちは無言。
 囲みの輪を次第に縮める。

「やれ、同門のよしみと思うたが。つまらん喃」

 漸く長恵も刀を抜いた。
 瞬間、男達に緊張が走る。

 だが、嗚呼、よもや伊勢守四天王に名高き丸目蔵人が刃を交える事無く、背を向け逃げようとは。

 「なっ!?」

 有り得ぬ動きに男たちの張り詰めた糸が緩んだ。
 その瞬間(とき)!
 長恵の上体はぐるりと弧を描き、切っ先の軌跡が煌めき、弧を描いた。

裏タイ捨流・暁月(ぎょうげつ)!

 間を置いて左右より迫りし男たちの頸から間欠泉の如く血が噴き上がる。

「ふむ。浅い、浅い。いやあ歳かの。南蛮人が如き背の丈、いや女子(おなご)の様な乳の重さでも儂に有らば頭(こうべ)を高こう跳ばせたものを」

 降り注ぐ血に小袖と肩衣を濡らし、ぶつぶつと何やら呟きながら己に近づきつつある長恵。独りとなった刺客は咄嗟に判断した。
 万難を排して三人で挑んだが相手は想像の遥か上を行く技前であった。
 せめて事の次第だけでも伝えねば。

 刺客の行動は早かった。
 思うと同時に脱兎の如く背を向け全力で駆け出した。
 脚には覚えが有る。年老いた長恵には追い付けまい。

 ばん。

 そう音が聞こえたと思った瞬間、刺客は前のめりに倒れていた。

 右脚の膝がはぜ、遅れてくる激痛に刺客は声無き悲鳴を上げる。
 力を振り絞り、仰向けとなり背後を見る。

 手に馬上筒を更に小さくした様な鉄砲を持ち、近付いてくる長恵。

裏タイ捨流・野衾(のぶすま)!

「ふむ。距離は飛ばぬが礫(つぶて)でも撃てるは良い。弾が歪(いびつ)故に鉛弾よりも爆ぜよるな。ただ此れでも種子島依り小さき拵(こしら)えじゃが、未だ大きい…こう掌に隠れる程度のモノで有れば喃」

 目前で藻掻くき苦しむ己には目もくれず、思案に耽る長恵に刺客の恐怖は頂点に達し、叫んだ。

「き、貴様、禁廷北面の士で有ろう!?誉れは、武士の誉れは!?」

 漸く気付いたかの様に刺客を見る長恵はにたりと嗤った。

「刺客が言う事か喃。お主、戦働きをした事無かろう?戦場であらば誉れある武士とて百姓の投げた石に死ぬ事もあろうし、鉄砲なら尚更じゃよ。故に真の武士たるは何を以てしても勝ち、敵を殺すが役目ぞ?常在戦場とはそういう事じゃ。柳生は好んで行儀良う武士の枠を定める徳川に組し、其に進んで嵌まらんとしとるがの。つまらぬ事よ」
「な」

 刺客が言の葉を紡ぐより早く光が走り、三つ目の血飛沫が噴き上がった。

 頭巾や袴が血に濡れる事も気にせず、またしても思案に耽る長恵はさながら伴天連が師走の末に崇めるという古の聖人、尼科拉斯(にくらうす)の如し。長恵は無論知らぬが、奇しくもこの日はグレゴリオ暦1601年12月24日、基督教圏に於ける聖夜、その日であった。

「儂では辿り着けぬ武の境地はこの国では無い天下の何処かで生まれ、そして何時の日が此処に帰って来る。さすればこの退屈な国も多少は面白くなろうて」

 天の他に聞く者無き、長恵の笑い声が山中に木霊する。
 それは数年の後に遥か東の大陸で生まれる武の国の産声であったかも知れぬ。

 いつしか雲が立ち込め天より白いものが降り始めた。
 血に染まる修羅と躯たちの紅を消すかの様に。

【完】


あとがき

 とう腐です。
 一年で10月の逆噴射小説大賞期間くらいしか文章を書かない季節小説書きの私ですが、本年は投稿しているうちにノってきたので、その勢いでパルプアドベントカレンダーの企画に参加させて頂いた、という次第です。

 本作「大武法者事始」ですが逆噴射小説大賞2020投稿作「大武法者時代」「侍星条旗」のシリーズ…と言っても独立して読める前日譚、俗にいう「ZERO」とか「0」とか「零式」みたいな位置付けとなります。

 当初“クリスマス要素”をガン無視で書いていたのですが、やはりクリスマス要素スルーは空気読めてなくない?と良心の呵責に耐えかねて無理やりクリスマス要素を詰め込んでみたのですが(当然月齢等も修正しました)、意外と良い感じに収まってませんか?(※感じ方には個人差があります)

 なんとなくですが、自らの作風が確立してきた感があるので、このシリーズはちょこちょこと書いて行きたいと思います。

 宜しければまたご一読頂けると幸いです。

明日、12月10日はタイラダでんさんの『サンタクロースの★つくりかた』が公開されます!お楽しみに!

本作は #パルプアドベントカレンダー2020 参加作品です。


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