言葉のかき氷
夏ですね、あつい。
日々、日差しと満員電車にゆられているとうふです。
言葉って、口に出したり頭から出したら戻らないですよね。質量や物質はないけど気持ちだけ残る感じ。まあ、昔々にも言霊と言ったくらいですから。
そして、その言葉で一番自尊心をゴリゴリと削られていた時期の話です。私の中で腑に落とすための話なので、読みづらい文書ですがご容赦ください。
私達には、自我、があります。
ここでは「氷の塊」になってます。
例えば、ダラダラと周りに流されるだけの人生だったら氷は緩やかに溶けていく。ゆっくり時間を掛けて溶け、そうして最後に溶け切って死にます。時間に身を任せ、吸収して溶けて、水になる。
一番幸せだと思います。
例えば、目標を持って努力をする。
氷は、目的があるので毎日少しずつ削られていく。1か月、1年、10年。目的のための道具で、削られていく。そうして、目的の形になる。努力が形となって表れる。かっこいいですね。
でもただ、自分で溶けたり削ったりなだけではいない人もいる。自分だけの氷が、誰かの言葉によってゴリゴリと削られていく。
流されるよりも早く、削るよりも荒く小さく小さくなってしまう。それの永さがどうであろうと質量は減っていく。ゴリゴリ、ゴリゴリと。
綺麗なかき氷とはほど遠い、削られカスの山が出来上がりました。
傷付いた、悲しい。そう声を上げてももう、氷は小さくなっている。
削った人達から、謝罪の言葉を言われる。悪気はなかった、貴方のためだった、傷つくと思わなかった。あるいは、心配や同情の言葉。大丈夫、怖かったね、悲しかったね。どろどろとシロップみたいにかけられていく。
言われた側は、許すしか、受け入れるしか答えを持っていない。だから、自分で削りカスを集めて直す事もできない。もう、色がついてしまってるから。
よく、いじめ問題とかで『悪口を言うたびにくしゃくしゃにされる紙』の話が出てきます。それと、おんなじ感じです。
色を付けられた思い出って、溶けて消えることがない。だから、落としどころを勝手に作りました。
酷暑にやられぬように、どうか皆様ご自愛ください。