陰陽論18精神の発生12

本神篇はまだ続くのですが、陰陽論からの分を一旦ここで補足しつつまとめながら、天人地と身体の関係に一定の結論をつけてみたいと思います。

陰陽論は古代の人が、知性を働かせるために編み出した基本的な考え方であり、同時にその知性自体を説明するものとして成り立っています。日本語の「わかる」が「分ける」と語源が同じことと、似通っています。巷の「東洋医学入門」的な説明では

陽=動的、熱性、拡大傾向 、夜、男性
陰=静的、冷性、収斂傾向、昼、女性

みたいな説明を見かけます。間違いではありませんが、なぜ そのような認識になったかの方が重要です。そこで、天人地の説明が必要になります。

人にとって最も大きく、最初に分けられる存在が、天と地になります。

「愚公山を移す」などという故事は、いかにも彼の国らしい表現ですが、当時から大規模な治水工事や万里の長城を造った人たちにとって、あながちホラとも言い切れません。

一方の天はというと正反対。星や太陽や月には触れることもできません。また一時たりとも止まることがありません。なので、地と違い正確な予測が可能になる利点があります。

地=自ら動かず操作可能だか予測できない。世界の構成要素(モノ)。

天=常に動き操作不能だが予測可能な天。世界を存続させているエネルギー。

モノ無くして世界はなく、変化無くして時間は発生しません。片方だけの世界は無い!ということです。これは宇宙全体ではなく、その中の構成要素全てに当てはまる事実として認識しているのが陰陽論です。

身体と精神の関係
今までの筋道で、人間一人を陰陽に分けたらどうなるか?天人地に分けたら、身体と精神はどう位置するか?というのが「精神の発生」の説明となります。

地は、天地の間に存在する人によって、いかようにも変えられるというのが、本稿でわりと強調したい部分です。(臨床的に大いに役に立つはずなのに、あんまり言ってる人が見当たらないので、私が言ってやろうというセコい根性もあります)

「精神の発生」の説明で、魂は外界と身体内部の影響を受けながら育まれていくとしました。魂のアウトプットは心の活動となってあらわれます。心は外の世界に向けて身体を使い活動をしますね。動くこと、話すこと、感情を出すこと。また、心の中でそれを再現することもできるようになります。

魂と心は外界の影響を受けながらも、自立(自律)したものとして捉えます。決定論的にそれらを物理現象として捉えることは可能かもしれませんが、東洋の伝統医学はその立場を取りません。人体はミクロコスモスとして、外のコスモスに影響されながらも独立しています。それは正しいか間違ってるかではなく、そうしないということでしか、我々の生活世界を捕捉できないからと、今は言っておきます。

そこで天人地に戻ります。

身体に起こっていることは、内部へもぐるほど意思によって操作が難しくなります。皮膚や筋肉、関節は動かせますが、骨そのものは動きません。内臓はもっと動かせません。でも、肝臓や膵臓よりも、胃や大腸は自由になります。

予測という点では、身体内部にいくほど、「多分こうなるであろう」という思索が多少可能になります。一日のリズム、四季一年が与える影響、一生の中の成長と加齢、それらは自分の自由にならない事象の最中に起きています。

ゆえに人体におきましては、人の自由になるかならないかに関しての陰陽の区別は、外の世界とは逆になるという結論が導かれるわけです。




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