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あがってこいよ、という人の心理

中秋の名月、楽しまれましたか?

昔の人は良く言うたもの。
明けたかと思えば 夜半の月の明るさよ。
です。


さて、今日は、最近、ずっとテーマになっていた「あがってこいよ発言」

先日、「怒り」は「理解」でとけると書きましたが。

更に考察を進めてみました。

「知らない」という人や「わからない」という事は、
魚で言えば泳いでいる水域が違い、
言語で言えば、違う言語を話しているほど違う。

例えば、美ら海水族館では、
普通の水圧で 深海魚も飼育されている、これは、減圧機で、ゆっくり、ゆっくり魚に合わせて、身体を慣らして快適に暮らしていけるようにされているそうです。

あがってこいよ、という言葉を使うのは、ややモ◯◯ラ傾向が感じざるを得ないことも。
減圧機で調整するには時間もかかるし、キツさを自分事として寄り添うから、理解に繋がります。
やり方を教えても、相手が理解できる言葉や順番を渡し、また、時間をかける忍耐も愛情として伴います。

自身が、教える立場にもあり、学ぶ立場にもあるから、より、みえてくる
「圧をかけすぎない愛情」

昨夜は、歌(和歌とかね)を読み合いました。
まー、ヘラっとしている方が浮かんでくるもんです。

私なぞ、一首目はだいぶふざけてる
「月をみて 団子を食ふて 夜半の腹」

プレ◯トのN先生がみたら
叱られそうです。

ただ、こういう練習を重ねて重ねて
間合いや言葉を学んでいく、
パッとふられた時に返せる心臓の強さは慣れるしかありません。

私としては、上がってこいよの前に、
噛み砕いて伝えられる人になりたいと学び続けていこうと思います。

つくだとしおさんの書かれた記事に励まされたりします。
https://note.com/cloudflow/n/nd0c6a3ac59fb

チャンチャン

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