latest tennis coaching

季節労働話、またある年の秋の話。

11月頭にシャケバイから原付で関西に戻ってきた僕は、その勢いで和歌山のみかん農家へ住み込みバイトをしに向かう。
まぁ結論から言うと親方と衝突して一週間で辞めることになる。
僕も若かったけどあの親方も無茶苦茶やった。同僚の女の子とおじさんはええ人やった。

当初2ヶ月ほどやろうと思ってたバイトが終わって、京都で沈没してたら、実家の隣の会社の孫がテニスやってるって話で、
「いっぺんつけたってくれへんか」
って話が出た。話半分で受けて、いつのまにかテニスやることにやって、最初は京都のごんだ暮れ地区、西院のテニスコートをとって2時間くらいやったんやと思う。
したらそいつ、行ってたテニススクール辞めよった。
年末から沖縄にキビ刈りでも行こかと思ってたけど行けへんやんけ。
しゃあないから俺に勝つまでは教えるわ。
この時、彼小6(Sと呼ぶ)、すでに結構上手かったし、僕も久しぶりやったから半年くらいで勝てるようになるんちゃうか、逆に勝てるようにならへんかったら見込みないで、と思いながら教えることになる。

一人じゃ仕事にならへんからってことで誰か友達連れてきてーや、って言うてたら最初に連れてきたのがY、しばらく二人でやってた。
春先かな、試合見に行って見込みありそうなやつ二人くらい声かけたんがTとA、この4人が実質の初期メンバーやったなぁ。
週二回宝ヶ池のテニスコート借りて原付の後ろにテニスボールひとカゴ乗せて。冬やからめっちゃ寒くてスキー用の手袋つけて。ちなみにこの原付も奈良の茶農家のおっちゃんが貸してくれてたやつやったりして。京都の市営のテニスコートは抽選激戦やから高校の時のコーチにもテニスコート抑えるん手伝ってもらって。みんなに支えてもらいながら食わせてもらってる。今もそう。

春になって、 Tのサーブがウェスタンからコンチネンタルになる頃、茶摘みのバイト(確か2年目)と鉄工所のバイト(親戚のおっちゃんが「来たい時に来て、帰りたい時に帰ったらええ」って話で雇ってくれてた)の掛け持ちをするようになって。

人生で一番にっちもさっちも行かへんようになってた時期を、幾人かの大人に支えてもらって、死なんですんだ。

この時期、クバ、まこっちゃん、パイセン、かないの4人でスタジオに入り始める。年末にやった30分のライブは今でも個人的ベストギグ。
あれを超えるパフォーマンスを出したいんやと思う。

夏くらいから生徒増え出して、秋頃には二桁になってたんちゃうかな、2クラスにして。

そうこうしてるうちに一番最初に教え始めたSが僕に勝った。そしてもう一人Tが勝った。潮時。

3年目の茶摘みを一通り終えた6月、名張の友人宅にて夜中酔っ払った勢いで髪の毛をジグザグに刈り、その流れでコーチを辞めることを生徒たちに宣言、富士山に登る。

途中オランダ行ったりしながら京都で遊んでた、最後の青い時。