読まなくてええ、そもそも日記やし
そうも簡単に書けるはずもなかった。
1/3
AO宅で結局寝たのは朝の8時で、9時過ぎにはKYの電話で起きる。娘と河原に石を探しに行くらしい。僕も年末におおきな収穫(石)があったと伝える。昼にKTと西院のビッグボーイで落ちあってそこから東に向かって歩く。KTはカモシカのような体をしているのもあってとんとんと調子よく歩く。大丸でOKと落ち合う。彼が持ち込んだことしの新兵器「モルック」という北欧の野外ゲームは、その日1日火を吹くことになる。街中の公園でひとしきりモルックしたのち、AKが合流しふたたびひとしきりモルックをする。暗くなる。KnTが10分ほど合流する、分離する。百貨店の地下街でKTが蟹を買う。この日のために用意した予算8万がまだ全然使えていないという。官僚的な意思決定に笑う。
まぁ僕たちにとってこの集まりは特別やもんな。去年は僕がばたばたしてて参加できなかった、んやけど、AKが乾杯用の酒(農口さんてわかる?)と肉(お手製ローストビーフ)!を新幹線に乗って東京まで「運んできた」。宅急便やったら間に合わなかったらしい。手渡しののち新宿でぐっと酒のんで千鳥足でまた京都に戻っていった。だから去年の僕はテレビ会議越しにこの会に参加でけた。画面の向こう側とこっち側におんなじ酒並べて、ウェブカメラの上からそれぞれ画面越しに酒をそそいだ。想像できる?なんか手品みたいな感じ。
なんかぼくが歩きすぎて、かつモルックしすぎて足首いたいいたいっていったらOKがタクシーよんでくれる。一路AK宅推定徒歩10分、実際タクシー9分。ついたらすでにKYがのそっとおった。AKは晩餐の準備。僕らは仏壇にちんちん。
さぁ、のむぞ。
1/4
眠る気がないもんだから、みんなルンペンみたいに床に転がるだけ。すこし長めの起き上がり小法師のように、むくっとみんな起きたり転がったり。AKが仕事のため、ふわりと、けれど深い思いをあとに残しながら解散する。毎年そういえば寂しい瞬間。この寂しさを紛らわすために、前日から飲みまくって、起きまくって、ふらふらの状態に仕上げる。また来年。今年はもっと会いたいねって。
KTと二人、朝の鴨川を歩く。カモシカといる風景はなぜかいつも美しい。
その後、イノダコーヒーのボルセナが食べたくなって歩いて行ったけど、満席30分待ち、そんなん待てへんやろ?
車拾って、北白川方面を流すぼくらは「朝食難民」に認定された。あれだけ長く住んだ街なのにどこで朝ごはん食べれるかわからへんのは、だいたい昼まで寝てたからやろな。けっきょくホカ弁のようなもの食べる。朝食にあぶれたらもう昼やねん。KTが良い葉巻をもっているので、その葉巻に合うロケーションに向かう。車で30分。京都市内で30分は割と遠い。しかもド山中。ある池の湖畔。僕はさすがに眠たくなってそうそうに車に引き返したけれど、カモシカは水辺にゆうに1時間以上とどまっていた。
1/5
90と189が京都に合流。僕はNSに会う。翌日から台湾だったからいいタイミングだった。彼はある件について自らを未熟だといったけど、僕は「未熟じゃなくて、それがあなたの好みやで」といった。偉そうに言ってしまったけど、間違っていないと思う。その後両親たちと焼肉をたべる。美味しかった。
1/6
旅の最終日。伏見稲荷に行く。90が珍しく観光地に行きたいっていうからいってみる。鳥居は圧巻、だったのだろう。僕は狐さんを2匹かって包んでもらった。稲荷で食べるいなり寿司は確かにうまかった。KKのお父さんが書いた記事が貼ってあるお店で食べました。
その足で五条坂の弁慶うどんたべて、AKの家に七輪をとりにいって、結局あげて、お茶飲んで。
その日はホテルでご飯食べて、幕が降りる。
1/7
一路、家に向かう。天気は雨のち曇り。新名神を通り、新東名、圏央道、中央道であがり。あんまし覚えてない。