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だから「感じた君」を見せるんじゃなくて、もう一回一緒に感じたいってこと

「だから、遠雷を「無意識に」感じている君が、無意識かどうかなんてどうでもいいんだよ。ってかそれ無意識じゃなくて寝てるんでしょ?ーーーそれよりさ、「寝てても光る!」とかそういうことでしょ。寝てるのに光ったんでしょうよ。」
かないくんとそういう会話になって、これからブログでどういったことを書いて、どういう風に書かないようにしようって話になった。

①「やばい」って言葉は使わない
理由:その言葉の通りで、書いてる本人しか、はっきりと物事がどうなってるのかわからないから

②格好つけない
理由:これは、ほんとうに気がつくまで35年かかりました。つい先日、数日挟んだ折り返しでかないくんに電話したところ、いままでのたいていの例に漏れずビールが飲みたくなった。まぁかないくんは露店みたいな人だから、その彼の声を聞いたら飲みたくなったのですが、家にはビールはいっぽんもなく、近所のS商店に原付を走らせたわけです。もう急いでるんですよ。はやくはやくって。帰りは下り坂なんですが、もうね笑みがこぼれてしまうくらい嬉しい。自分でも気づくくらいにやけながら、彼と話しながらビールを飲む瞬間を心待ちにしてる。その瞬間、ハッと気づいたわけです。答えを。

「自分のことを複雑な人間だと思うことはやめよう」

小説を読んだりアンダーグラウンドな音楽を聴いたりするような男の子(女の子)は、どこか常に自身は他人とは違った特別な人間なんだと思うように、早かれ遅かれ、みんななると思います。

(かないくんが「朝から飲む酒はいいとききました」というので、am8:21、さっきまで飲んでたティーバッグの出がらしに少し赤霧島とお湯を注いでみました。美味しいです。)

ほんでね、どう特別なんだろうって考えるわけです、この行為がまぁ言うと真っ白のキャンバスを巨匠に見せられて
「君は何が見えますか」
と問われるようなもので、
「何も見えません」とはすんなり答えられないのです。そのキャンバスのテクスチャーであったり、サイズであったり、厚みであったり、部屋のどの方角に置かれているかであったり、彼がどんな言葉を聞けば喜ぶかであったり、なんて言えば鋭い人間だと評価されるかだったり、そんなことを必死で考えるわけですよ。それと全く近い状況なんです。

まぁそんな風に、なんら大して他の人たちと変わらない自分を、こねて彫っていく。その過程でどうしても複雑な様相を帯びてくる。

「僕は複雑な人間なんだ、実は」と。

で、ほんでですよ。そう思ってると無意識に格好つけてしまうわけです。他人に対して直接的にアピールするといった「単純な」かっこつけではなく、自分というキャラクターが自然にとる行動をとるということがすでに「複雑な」かっこつけなんだと思います。

なので「格好をつけない」というルールは、

「自分はとても単純な人間なんだ」と宣言することここに誓います。