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溢れる愛へと向かうためには、飢えている場合ではない

正直、満たされていない人たちと対面することはめちゃくちゃ疲れる。愛に飢えている人たちはやっぱりなにかしらに齧りつこうとしてくるように感じる(時がある)。

俺の肉に。

そういう人たちと出会った時、大抵は序盤、お互いに気分が高揚し盛り上がる。超楽しい。それ、向こうはこちらの可食部をみて涎をたらしてハイになるし、そもそも飢えているし、こちらは自分が必要とされる重要な(おもろい)人間なんやと感じて昂まる。美味そうな可食部イコールなんらかのうまみでもある。金を持ってる、見てくれがいい、速く走る車をもってる、おもろい、自分を高めてくれる、やさしくしてくれる、脚がきれい。やからもちろん彼ら一人ひとりにとって対象もその可食部も異なる。

まぁけどここで厄介なんは、相手もこっちも人間やってこと。生殺与奪がお互い許されない。こちらも食いかかってきた相手を斬り殺すわけにはいかないし、むこうも食い殺すことができない。食い殺さんように食いつくやつと、殺さんように振り払う二人。ある瞬間はダンスをしているようにみえるかもしれんなぁ。

一つ言いたいことがあるとすれば、俺としても、自分を満たすためにめちゃくちゃ努力してるってこと。そのために脚本変えて、キャストも変えて、自分のロールも変えて。それも全部、溢れる愛へと向かうためなんや。