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金沢はいつも曇りだった。
新卒で入った会社はブラックでパワーハラスメントが横行していた。
一年目の上司は昆虫のような男。
メガネを掛け、小柄で目が陰気、言葉遣いや態度に気品がなかった。
2年目に入り少しはコミュニケーションの取れる上司に変わったが、空を売るような仕事に虚脱感が募った。
仕事が虚無な分をスケートボードとスノーボードで紛らわせた。
内灘の海には当時24時間空いている木製のランプがあった。
隣のbarが電気代を払い朝まで煌々と明かりを灯す。
砂浜の上にベアリングの回る音。
冬は雪山へ。
会社のルールで「岐阜より西側勤務で京都より100kmは離れたところ」が勤務地の候補だったので、スキー場までのアクセス30~40分の環境に生まれて初めて身を置かせてもらい、根本的には感謝していた、暗い冬。
2年目の春、高校時代の友Jが一年遅れで金沢に転勤になる。
週末、二人でスケボー持って内灘へ出かける日々。
それだけが支えだった。
ローカルの友達も出来、フットサルもやり出した。
そこで貰ったのが14番だった。
大学時代に1番フットサルやってた時に貰った番号は4番。
14番を希望したんだけど先輩Tさんが希望ということで譲る。
4番も今では大好きな数字。
ルート・フリット、セスク、ケーヒル、本田圭佑、ヌアンコ・カヌ・・。
守備的なイメージが強い4番だが、前の選手が着けてもカッコいい。
僕はグティが好きだ。
僕はアンリが好きだ。
理由はそれだけで良いと思う。
やっと金沢にも馴染んだ頃、2年目の年明けに会社を辞める。
「この人1番賢いな」と思ってた人に「向いてない」と言われたから。
頭の良さが人の価値の大部分を決めると信じていた青い冬。
二人の女性と出会う。
一人は高校の同級生、一人は誕生日が同じ。
わけもなくタイミングが重なることがあった。
求めていたのだろう、好きなことしか出来ひん。
会社をやめて主に1年ぐらいブラブラ遊んでいた。
当時としては決死の覚悟で、今思うと物見遊山でインドに行ったのもこの時期。
確かこの辺りでJが結婚する。
式に参列するメンバーを見て僕は滝に飛び込むことになる。
今や彼にも3人の子供が。
僕は0人。
そうして節分明け、菓子屋に入る。