New Journalism、雨、客の来ない古着屋
「虚構を一切せず、本名や実在する通りの名前、出来事などをきちんと使用して“現実を演出”する。ニュージャーナリズムは、要は、ストーリーテリングのことだ」ーゲイ・タリーズ
今日は客が来ない。
開ける前から予感はしていた。
そもそも、最近始めた庭師見習いのバイトの予定が雨で流れて、朝インスタで営業することになった旨を告知するも世間は連休狂奏曲の真っ只中、反応は明らかに薄く、昼過ぎに草刈機を軽く回してビールを一本空けた。
久しぶりの昼に飲むビールはそんなに酔いも回らず、布団に寝転びながら店番をするも来ず、仕方がないので2本目の500mlに手を伸ばした今、もうすぐ日暮れ、毎度こんばんは。
さて冒頭の。
ニュー・ジャーナリズム(英: New Journalism)は、1960年代後半のアメリカで生まれた新たなジャーナリズムのスタイル。従来のジャーナリズムにおいては何よりも客観性が重視されていたが、ニュー・ジャーナリズムでは、敢えて客観性を捨て、取材対象に積極的に関わり合うことにより、対象をより濃密により深く描こうとする。
ニュー・ジャーナリズムの形成に大きな影響を与えたとされるのは、1966年に出版されたトルーマン・カポーティのノンフィクション・ノベル『冷血』である。当時普及の始まっていたテープレコーダーをあえて使わず、一年半かけた訓練の記憶力テストが95%以上の正確度に達したところで取材を行う方式によって、「フィクションの技術を駆使した物語風の構成でありながら、中身は完全な事実という形式」を完成させた。-wiki
自分を極限まで透明にした状態で書けってことか。
このnoteはnew journalism by ourselvesってとこか。裸の根元。
翻ろか。(ちなみにspace key押したら「昼がエロ」って出たわ。)
まず実名で行かなあかんわな。
僕は金井一記。
34才。京都生まれ京都育ち。
27才で脱社会人、5年くらい季節労働者やって長野県辰野町に流れ着いた。
「現実を演出する」というのがあんま聞いたことない言葉やな。
きっと引用部の「95%」ってのが味噌で、本人は100%ノンフィクションで描いてて、かつ無作為で残りの5%が誰のせいでもないミスによって演出されるってとこか。そこに意図があったらあかんのや。
ここ1ヶ月のことやと、ヨガ講師のナオキ君が近所に引っ越してきて、彼に刺激されて、仕事としてインスタ捉えて随分頑張ったんや。毎日営業時間ストーリーあげたり、こっちからフォローしたりな。そしたら疲れてんやっぱり。空を掴むようや。すまん意図せず愚痴っぽいわ。
片や庭師の仕事は、疲れるねんけど疲れへんっていうか、手応えあるねんな。そらメンツええわ。気の合うちょい上の兄貴みたいな親方と2人仕事やし。
じゃあこの違いはなんやっちゅうたら、インスタは作ったものを切り取ってUPする、庭木の世話は空間作ってるっていうことで、やっぱり店の改装続けなあかんのサボってるって、今答え出たわ。
次はゲストルームの多層化、部屋の中に部屋を作る、さらなる立体化。
で、最後の「要はストーリーテリング」ってとこ。
ほな面白いストーリー地で行ったらええってことやね。
裸裸。
こないだクバさんと夜中電話してて、ナシキさんの話になって。
2人で改めて書かはった文章読んだらめっちゃ良くて!詩人。美しい。
あの日はほんまええ夜やったわ。クバさんの久しぶりの投稿やっぱりめちゃくちゃ良くて。
最近働きすぎかな、この仕事せーへん人間が。
庭仕事と古物引き取り行って、無い日は店開けて。
もっと遊ばなあかんわ。バネぎゅっとして、飛んで!
すでに飛んでるけどさらに。飛び続けるんや。
こないだ0時前に電話鳴って、出たら「今ドアの前に居ます」って。
引っ張られすぎんと軽やかに行きたいけどまた会いたいわ。
土曜やし。
まだまだ小出しやなぁ。ニュージャーナリズムには程遠いわ。80%ってとこか。こっからは1%ずつが一歩づつな感じやな。支離滅裂になってきたけど酒足らんにゃなきっと。はよ飲みきるわ。