お皿は割らなきゃわからない
夫婦して、食器や調理道具に目がない。
東京は台東区にあるかっぱ橋商店街は、そんなぼくらのお気に入りだ。プロも出入りする商店街では、調理に関するありとあらゆるものが揃う。
娘が2才になるころ、食器や調理道具を買い足しにかっぱ橋へ出かけた。
商店街に一歩足を踏み入れると、これがナカナカ時間がかかる。一店一店が魅力的で離れ難いのだ。何しろプロの卸店である。使いやすく丈夫そうな鍋やフライパン、ザルやレードル、サイズの揃ったボウルやバットなどが隙間なく並ぶ。鬼おろしなんかもあってりして、これじゃあすぐに次へなんて行けないよ。
「とりあえず、落ち着いて一通り見ようよ。」
妻のひとことで、おお、そうだ、そうだよね、となんとか足を進めていた。
かっぱ橋商店街は、歩道まで食器や調理道具が並んでいるから歩いているだけでも充分楽しい。気になるお店に目星をつけながら進んでいると、先を行く娘の脇に小さな豆皿が現れた。娘は、お? と足を止め興味深そうに手に取り暫し眺めると、何を思ったかエイっと豆皿を放り投げた。
パッリーン。
食器の割れる音に、騒々しかった通りが静まりかえる。周囲の大人たちの予想しなかった反応に娘は身体を硬直させた。
「おやおや、お嬢ちゃん。良い音がしたねえ。」
店頭の椅子に腰を掛けていた老紳士が、娘に声をかけてきたのはそのときだった。ご隠居さんだろうか。
「すみません。豆皿、おいくらでしょうか。」
とっさに出たぼくの言葉に構わず、男性はしゃがんで娘と視線を合わせると云った。
「お嬢ちゃん、良い経験をしたね。もう、2,3個割ってみるかい? 割ってみねえと、モノを大切にするってえことが解らねえもんさ。遠慮しなくていい。思い切ってやってみな。」
促され、娘は更に豆皿を放り投げた。続く破裂音に、通りの視線が集まる。
「あっはっは。思いっきりのいい子だねえ。気持ちがいいだろう?」
戸惑いから、娘は口に指が全部入ってしまった。男性はにこやかに続けた。
「それでお嬢ちゃん、お皿はどうなったい?」
「こわれちゃた。」
「そうだな。こわれちまったな。お嬢ちゃんは、いい子だ。」
男性は立ち上がり、娘の頭をなでてくれた。
割れるから危ないからと、ついぼくたち親は、食器に限らず子どもの扱うものを安易にプラスチックなどにしてしまいがちだ。これは、子どもから「モノを乱暴に扱うと壊れる」という経験を奪っているのではないか。それはつまり「モノを大切にする」経験を奪うことでもあるのだろう。
割れて散らばった豆皿の破片を娘と一緒に片づけながら、そういったことを、ご隠居さんは語りかけているような気がした。