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蛍川

幼い父が太平洋戦争中疎開した土地に、赤川という川がある。
その川は毎年夏、蛍が一面に水面を覆い、現在でも「赤川ホタル」として保護の対象となっているという。少年時代、その幻想的な美しさに父は息を飲んだ。
むかしから蛍は、死者の魂だといわれる。




千葉出身の父は6才のときに戦争がはじまり、戦況の悪化に伴い島根県へ疎開。大日本帝国はミッドウェー海戦で主力艦船や熟練戦闘パイロットの多くを失い太平洋の制海権を握られた後、B29のような長距離爆撃機だけでなく、航続距離の短い艦上戦闘機にまで本土上空に侵入されるようになった。10才になっていた父はP51という銀色に美しく輝く高性能戦闘機に、日常的に機銃掃射されていたという。隠れる建物のない拓けた道を歩いているとき、駅で列車を待つとき、そして橋を渡るときがもっとも危険だったそうだ。




祖父は教師として働いていたが、教え子をつぎつぎと戦場へ送り出し死なせてしまったという喪失感と無力感に苛まれていた。父の幼い瞳は祖父の震える背中をみていたのだろう。苦しさや後悔に葛藤する背中を見て育ったのだ。戦後、祖父の強い勧めで国立大学に進学出来た父は、更に大学院にまで進んだ。卒業した父は戦後の高度成長に沸く大企業の、金の卵だの幹部候補だのという甘い言葉には乗らず、ひたすらに平和を探る道を歩んだ。母とはそうした道程で知り合い、恋に落ちたのだった。




戦争を体験した人とそうでない人の間には、決してわかってあげられない境界があるの。




母はあるとき、父についてそう語った。
年老いてもなお悪夢にうなされ、深夜叫び声と共に目を覚ますことが度々あるのだという。疎開先までも追ってきた銀色の戦闘機。プロペラの回転数が上がる音に逃げまどいながら知人や友人が目の前で撃たれ死んでゆくのを見てしまった父。父の脳裏には今でもあの疎開先の赤川でみた、一面の蛍が浮かぶのかもしれない。




世界は再び分断の時代を迎えている。ミャンマー国軍の暴走や中国の香港への暴挙は対岸の火事ではない。日本は大丈夫。自分だけは平気だと知らんぷりを続けていれば、弱者に向き合うことに無関心を続けていれば、いずれ自分が銃撃される立場になるかもしれないということが予測できないだろうか。あの時代、日本は欧米列強の植民地獲得競争に便乗し、勝ち組を目論んだ先に戦争という絶対的な過ちを犯した。




無謀であると誰しもが認識していた戦争をやめられなかった最大の原因は、軍事政権内の責任のなすりつけ合いにあるという。現在もまた、国の政治を司る方々の責任逃れの日々は続いている。コロナ感染が拡大するリスクを負ってでも五輪は強行されてしまった。コロナ感染拡大と無関係であるはずがないことは、誰しもがわかっているのにだ。しかしそれを許しているのは、何となく現状維持を望み、自らの頭で物事を考えず、垂れ流される情報を鵜呑みにして日々を過ごすぼくたち一般人だ。




東京五輪2020で得た成果は何だったのだろう。それは、コロナ感染拡大による犠牲と引きかえにしてでも成し遂げるべき成果だったのだろうか。そもそも、国民の命を賭してでも成し遂げる必要のある国家行事などあるのだろうか。それを決めるのはぼくたち国民であることを、終戦の日に改めて自覚したい。
きっと、今年も蛍は見守ってくれているのだから。

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